12/30/2009

実りある一年の締めに

先月の11月にKDDIアメリカモバイルの広告で、着物スタイリストをしました。イメージキャラクターは元モーニング娘の加護亜依さまでした。
加護様の最近の写真を送っていただき、そのお姿からイメージ出来ること、写真の加護様と数時間にらめっこ状態でした。そして、新年版ということもあっての広告、私には全てが「希望」という言葉が、頭から離れないでいました。
KDDIカラーの「紺」も素敵な色なのですが、「青」・・・空を見上げた時の瞬間、
他の色の提案があったのですが、青色の振袖の着物を提案して、クライアントと制作スタッフに着物の画像を送ると、青色の着物で撮影をしようというながれになりました。
そして、今月27日の日曜日頃から日系のいろんな新聞にKDDIアメリカモバイルの広告で、青色の振袖を着た加護様の姿が見かけました。
ご一緒に仕事をした方たちから、連絡があり、とても嬉しかったです。
NYでの実りある一年の締めに、そして、来年への「希望」にむかう気持ちとともに、胸に熱いものが込み上げました。

ロンドンのwebファッションマガジン"chic today"に、今月、私が着物スタイリングした作品が載りました。
webデザイナーの編集ミスで、クレジットネームの記載ミスなどが起こり、年末年始休暇にかかってしまい、ネームの追記は来年の1月となってしまいましたが、作品が載ったことはとても嬉しいです。

NY、そして、ロンドン・・・着物スタイリストした作品を楽しんでいただけたらいいなって思いました。
来年も頑張ろうと思います。

ブログを読んでくださった皆様にいっぱいの感謝の気持ちを込めて。
また、来年も宜しくお願いいたします。
良い年をおむかえください。

12/25/2009

大島紬の美4.大島紬は二度織られる

今回の大島紬についてのブログは4作目になります。それでも語りきれないほどです。

写真の大島紬は私が持っている着物です。クリスマスプレゼントでいただいたものでした。
九マルキ、泥染め、カタス式で織られたT字の絣が見られます。とても素敵な大島紬です。

ここでは、大島紬が反物へと仕上がっていく過程をご紹介できればと思います。

大島紬の特徴は世界でも稀にみる精緻な絣(かすり)です。現在の大島紬は厳密には大島「紬」ではなく、大島「絣」といってもいいほどです。

絣が作られていくには、布地に織り上げたあとにできる文様を想定し、絹糸一本一本のその白く染め残される部分を他の糸を巻きつけて手で括(くく)り、括った糸を解きほぐし、想定していた文様に合わせて縦横に配して織り上げていました。全て手作業、気が遠くなるほど大変です。

しかし、明治時代後半以降、日本中で人気沸騰した大島紬の絣を手括りだけで続けるのは無理がありました。また手括りでは細かい絣を文様のズレなく作るのは不可能でした。
そこで、明治40年以降、織機を使うことによって2度織られることで精緻な絣が可能となりました。

【一度目】
絹布を絣文様に染める為に、「締機(しめばた)」という巨大な織機を使い図柄に合わせて絹布の防染部分を木綿糸で織締めし、絣筵(かすりむしろ)を作製します。
それを泥染め、草木染め等した後で木綿糸を取り去り、
一旦作製した筵を全て解きほどき、絹糸に戻して、また染める
この工程を繰り返します。

【二度目】
縦・横の絹糸が図柄通りに染め上がったら、注意深く手織り機で図柄に合わせて反物を織り上げていくのです。

こうして大島紬は二度織られるのです。「締機」による絣作製の技法は時代を経てどんどん向上し、細かく鮮明な文様織りだけで作製することが可能になりました。
大島紬の工程は30以上にも分かれていますが、全てが分業制で、専業の職人がリレーのように1つの完成品に関わっていきます。「締機」での作業はとても力のいる作業で、強く織り込まないと染色の際に染料が締め織りした中まで浸透して、絣が不明瞭になってしまいます。一度目の締機を使う作業は、男性の仕事で、二度目の手織り機で図面に合わせて織っていくのは女性の仕事だったそうです。

大島紬は美しいというより、底から溢れてくるようなとても強さを感じました。強さは美しさとなって、心に刻まれていくようでもあって。

今、合わせる帯に迷っています。

とりあえず、博多帯で合わせてみました。
何かに書いてあったけど、本当に相性が良いのですね。



12/05/2009

大島紬の美 3. 大島紬は「紬」ではない

最近、大島紬の変遷について少し夢中になっています。

明治維新と言う時代の大変革期の流れをダイレクトに職人が受け止め共鳴して後世へとつなげていく技が生まれていく変遷を、本を読んでいるだけでもワクワクしました。先人たちの知恵と技の結晶の大島紬という着物の魅力は、本当に知れば知るほど面白いです。

ちょっと衝撃なのが、大島紬は「紬」ではないというお話を先日ある本を読んでいて知りました。
「紬ではない」と言うのは、紬糸を使わなくなったためでした。

大島紬は献上品として薩摩藩に納められた江戸時代から奄美大島で作られた紬糸を用い、いざり機(地機)を用いて織られていました。
しかし、明治維新後、上納の必要がなくなり、全国的な大ヒット商品となり従来のいざり機(地機)では生産が追いつかなくなり、そこで奄美大島の織人は大決心をして、いざり機から高機(一般的な機織)へ移行することにしました。
高機は生産性が上がる一方で、糸に負担がかかります。従来使っていた節くれ立った紬糸では効率良く上手く織れないということで、紬糸から滑らかな生糸に置き換わっていきました。

ただ、大島紬という名前が当時からポピュラーだったので、今に至るまで大島紬という名前が使われています。大島紬は生産性の追求で紬の風合いを失った一方で、滑らかな生糸を使うことで世界にも稀にみる精緻な絣を実現していきます。
そのお話は次回にしますね。

*参考までに
「紬」とは、太くて節の多い玉繭から紡いだ手撚りの玉糸やくず繭と呼ばれる変型した繭から紡いだ紬糸を用いて織ったものを言います。表面に小さなこぶがあり、独特の風合いを持った織物です。紬(紡ぐ)と言う名の通り、真綿 (繭を煮て柔らかくなったところを薄く引き伸ばし重ねフェルト状にしたもの) を人がつむいで糸にしたものを使います。紡いだ糸は細い繊維が絡み合い、繊維と繊維の間に空気が絡み合うため、非常に軽くそしてなんととても暖かいです。冬の着物として、その代表格である結城紬が私は大好きです。元々野良着だったのですが、贅沢禁止令も発令された江戸時代には、絹なのに絹らしい光沢を持たず「遠目からは木綿に見え」、さりげなく趣味の良さを主張できる紬は、粋な着物として人気を博していきました。

11/27/2009

NYの日本酒イベントでの着物スタイリング

アメリカのイベント会社からの依頼で、着物スタイリストとして着物のコーディネート、そして着付けをしてきました。
そのイベントは日本酒のイベントでした。
会場はミッドタウンにあるホテルでした。

私は英語が少々苦手なので、最近、アメリカの会社からの依頼の仕事の対応してくれる方が出来て、初めて二人で挑んだアメリカの大手イベント会社からの仕事でした。

お酒のイベントなので、お太鼓系の飾り結びで、鏡割りを連想するように、小さなお太鼓は酒樽で、木槌で樽をわると水しぶきが勢いよく上に上がるように扇ヒダで上へ上へと広がるように作りました。

先日、そのイベント会社から、「ありがとう」メールが私の仕事を手伝ってくれている方のところに届いていました。そのメールを私に転送してくれてジンワリ感動いたしました。
はじめての二人でやった仕事が成功した実感を得ました。
これからも、ご一緒に仕事がしたいと心から思いました。
お酒のイベントで、着物を着付けている時とイベントが始まる前にとった写真です。


11/25/2009

大島紬の美 2.奄美大島の自然が産み出す泥染め

前回の「大島紬の美 1」の続きです。

大島紬の染めは、タンニン酸を豊富に含む染料で糸を染めていきますが、漬け込むだけでは染まりませんので、液を泡立てながら空気に触れさせ、揉みこんでは絞り、また揉みこみます。途中、石灰水に浸すことでタンニン酸を中和し染色を定着させ、その時々の色の具合を確認しながら、数十回となくこの作業を繰り返します。この繰り返しにより、糸は赤~茶褐色に染まり、色の層もどんどん深くなるのです。
テーチ木染めしたものを次は泥田で染めます。奄美大島は地層が古いため、泥のきめが細かく粒子が丸いため糸が傷つかず、また赤土の土壌で鉄分が豊富という特徴があります。テーチ木に含まれているタンニン酸と、泥の鉄分が自然の化学反応を起こし、泥田に入れて揉むようにして染めていくと色合いがみるみる黒っぽい色に変わっていきます。色合いの変化だけでなく、泥染めにより糸はしなやかになり、ツヤが出て、防虫効果や静電気防止、消臭作用、いろんなメリットがあります。さらに色素の結合力が増し、退色防止にも役立っています。自然の力を利用した素晴らしい知恵ですね。このテーチ木染めと泥染めを何度となく繰り返すことによって、泥大島の色に深みが増していくわけです。
大島紬の歴史を遡ると早くも奈良時代には東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残っています。この褐色紬こそ、梅染め、桃染めという古代染色の技法が奄美大島に伝えられ、自生するテーチ木、 チン木、フク木などの草木を用いて染色されたもので、現在の泥大島の元祖ではないかと推測されています。
まさに奄美大島の大自然を活かしきった泥大島。ニューヨークで泥大島の着物を着たら、どのように迎えられるか楽しみです。

11/16/2009

伝えていきたいこと

大島紬を通して、前回のブログに載せた素敵なビデオに出会い、まわりくどいかもしれませんが、
「伝えたいこと」「受け継がれたい”技”」について考えました。

先日、私の記事が載った雑誌「月刊アレコレ」が休刊になりました。私はその雑誌の「きもの人 十人十彩」という欄に載せていただきました。
月刊アレコレの編集人である細野様から「かたちを変えて何らかの発信はしていきたいと思っています。」の一言に、胸が詰まされました。

伝えたいことがあること自体、素敵ですし、それを発信し続けること・・・とても大切だと思います。

私も伝えたいこと・・・いっぱいありますが、着物は、文化が凝縮されていることもさることながら地域性の特色もあって、着付け教室に来る生徒様に伝え方について迷うことが多々あります。家紋にしても関西と関東での解釈が違ったりして、でも、紐解いているときがとても楽しかったりします。そして、着物一着の中にもいろんな文化や地域の特性が沢山含まれていて、知れば知るほど尽きない世界があります。

前回のブログで紹介したビデオにあるように、多くの職人さんにより作られた「着物」の技が後世に良い形で受け継がれていくことを願う気持ちを底辺に持ち続けて、「着物」を海外の地からですが、伝えていければと思っています。

大島紬に焦点を今回はおいて、日本の技の素晴らしさを少しでも伝えることが出来ればと思いましたが・・・その技法の素晴らしさを書いて表現することは難しいものですね。

お勉強ノートのようになってしまいますが、引き続き大島紬を書きたいと思いました。

月刊アレコレ、今は、また次に出会うまでのお楽しみの時間をいただいたのだと思っています。
また、会えますように。

11/14/2009

大島紬の美 1.エコ的なテーチ木染め



とても素晴らしいビデオを発見。
このビデオにもある大島紬。
大島紬といえば軽さ、肌触り、通気性のよさで、オシャレな普段着物として日常を幅広く楽しめる着物です。奄美大島紬を代表するのが泥大島。テーチ木と泥染めによる「カラスの濡れ羽色」と呼ぶ色合いが素敵です。その色合いは光の当たり方により見た目が異なり、洗えば洗うほど微妙に変化します。本物は百年後に最も良い色になるとか・・・。

泥染めは大変な手間を掛けて作られます。でもとてもエコ的です。
手順は、
○奄美大島に自生するテーチ木(シャリンバイ)を伐採し、チップ状にします。
○600kgのチップを釜で半日以上かけてグラグラ煮、タンニン酸を柚出
○一週間寝かせて醗酵
○約1500-2000Lの染料が出来ます

ここからがエコ的です。
煮出されたチップは乾燥され、次の釜を炊く燃料となるのです。
燃やした大量の灰はあくまき(粽)に使ったり、山や畑にまいたり、古くは藍染めに使われてきました。テーチ木は成長が遅く、一般に樹齢20年以上のものが染色に使われますが、伐採の時に根本に近いところは残し、そこからまた新しい枝が育ち7、8年ほどで再び使えるようになります。テーチ木から灰まで島の中で完全にリサイクルされています。 無駄がないのです。
無駄がない・・・、着物に限らず、いろんな文化の面で、これは日本の優れた面ではないかと思います。
迫力あるビデオを何度も見てしまいました。ここで一息。大島紬のことをきちんと書きたいので、次のブログに続きを書きますね。
これだけの職人さんたちの技で作られた「着物」に出会えること、ビデオを見ながら少々胸がいっぱいになりました。そして、「着物」を伝えていけたらと心から思いました。

10/31/2009

日本の雑誌からの取材を通して

日本の着物の雑誌「月刊アレコレ」からの取材の申し込みがあったのは、8月のことでした。
見本誌として送られてきたのは、小さな可愛い小冊子でした。
でも、その小冊子の中に出てくる内容の充実さには大変驚きました。池田重子さんの着物のコーディネートは斬新で、とても先を行っている感じがして、でもしっかりと脈々と受け継がれた着物そのものを感じるベースが静かに存在していました。そして、着物の職人さんたちの仕事、そして、こよなく着物を愛する人たちの情報が、沢山詰まっていました。
この雑誌の11月号「きものびと 十人十彩」コーナーに登場させていただくことになり、とても嬉しく、また、大変恐縮にも思いました。
編集長の細野さんから年内に日本への一時帰国があるか聞かれましたが、今のところ帰国を予定していないことを言うと、現地取材という運びになりました。
私の知り合いのNYのフォトグラファーの野口さんを細野さんに紹介いたしました。偶然なのですが、野口さんは日本の雑誌社からの依頼で、NY現地の写真を撮っている経歴も長く、とても話がスムーズに早くすすみました。
そして、9月5日のまだ夏の暑さが残る中、11月号向けに、袷の着物でニューヨークの五番街で撮影をしました。以前にもブログで紹介しましたが、この着物は、城間栄順作、琉球紅型の訪問着です。
この着物の色ですが、光により色の印象が変わります。写真で見ると、真朱色ですが、室内で見ると「深緋(ふかひ・こきひ)」色です。太陽の光が当たると、やはり艶やかな明るい「真朱」色に見えます。
深緋は「日本伝統色・色名事典」によると、茜に紫草を加えて黒紫みをもたせた濃い緋であるとのことでした。 飛鳥・奈良時代、最高位は紫で、次に緋色でした。(緋色は、褐色味の赤色といった感じです。)その間の色にあったのが、深緋で、官位四位を表す袍(ほう)の色とされていました。
地紋も細かく入っていて鞘四釜、布地は丹後縮緬の緞子です。
城間栄順さんの作品は、裾元から凜とのびる美しい花と、肩からはしなやかに枝たれ、そこに色彩豊かな愛らしい花々。
NY五番街のティファニー前で、この着物を着ての撮影が出来るなんて、こうした機会でもないと、ありえないことだと思いました。
そして、私の着付け教室のレッスン風景も撮影しました。
こちらの写真が、雑誌掲載に採用されなかったレッスン風景の写真です。生徒皆様真剣です。

今回の撮影に協力してくれた私の着付け教室の生徒さんたちに「このまま着物を着て、街を練り歩こう!」と言うことになりました。

先日、NYに月刊アレコレの11月号が届きました。
「きものびと 十人十彩」は3ページもありました。NY五番街でボーと立っている私の姿の写真と、撮影協力してくれた生徒さんたちと街を練り歩いた時の写真が載っていました。
急に思いついての着物を着ての4人で街の散歩(なかなか迫力が出るものですね)。撮影の範囲に入っていないと思って、皆様もリラックスして楽しんでいました。そうした時の方が、自然で、着物も様になって、とても素敵な写真でした。
また、記事の内容は、私が全米一位の携帯電話会社での広告で着物スタイリストをしたときのエピソードが書いてあります。
是非、月刊アレコレで見てくださいね。

今回の取材でご協力してくださいましたのは、フォトグラファー野口正博さん(Masahiro Noguchi)です。 ありがとうございました。

そして、撮影ご協力、皆様、ありがとうございました!!

10/20/2009

ミュージアムで帯結び披露


ワシントンDCのテキスタイルミュージアムで開かれたシンポジウム”From Kimono to Couture”では素敵な出会いが続き、素晴らしい出来事が起こりました。
最終日、show-and-tellと言うファイナルセッションでのこと、帯結びを皆様の前で披露する機会に恵まれました。

Kimonoと付くシンポジウムにもかかわらず、着物を着た人が登場することなく終わりそうになっていました。最終日の前日、アメリカ人の女性が、着物を持ってきたけど自分で着ることが出来ないと言うことで、私に相談をしてきました。
そして、せっかくなので皆様の前で帯結びを披露してほしいと御願いされました。
持ってきた物を伺うと、着付けに必要なお道具はほとんどそろっていませんでした。夕方、本当ならワシントンDC名物のクラブケーキを食べに行くはずだったのですが、そんな心に余裕もなく、ドラッグストアに行って、腰紐に替わりになりそうな2mほどの包帯を買い、洗濯ばさみを探し(アメリカって「洗濯ばさみ」がないのですね)帯板の代わりになるような厚紙、厚手のノートの表紙とか段ボール箱とか探しました。なかなか見つからないものですね。包帯と輪ゴムを買えただけでも、「なんとかなるかな?」と思えて、とても即興に近い状態で挑むしかありませんでした。
そして、帯結びを披露する当日、アメリカ人の女性が持ってきた物を見せていただくと、帯自体に芯が入っているようで堅かったので、なんとか帯板なくてもきれいな形を作れそうでした。そして、着物のサイズですが、「問題ない」と言っていたので安心しきっていたら、なんとほぼ対丈でした。はしょりを出せるか不安になるほどのある意味ジャストサイズでした。
でも、なんとか「はしょり」を作りました。腰紐が2本あったのがとても救われた気持ちになりました。伊達締めがないので、包帯を代わりに使ったり・・・、お道具はなければないで、何とかなるものだと思いました。
シンポジウムのファイナルセッションの会場は、美術館の庭園で行われました。生憎の雨で美しい庭園にテントを張ってしまっていましたが、それでも、会場は満席、立ち見が出来ていました。そこで、皆様が持っているジャパニーズに関する服飾(着物から現在のストリートファッションまで)コレクションを見せ合って、ファッション関係の大学の教授や、美術館のキュレーターがコメントしていきます。着物コレクションの時に私の出番がやってきました。
はじめは、帯結びをお太鼓で登場して、そして、着物について質疑応答があって、そして、そのあとに、お太鼓をほどき、変わり結びを披露しました。

その前日に、Liza Dalbyさん(今回のシンポジウムのメインプレゼンター)との素晴らしい出会いがあり、ランチをご一緒して沢山お話していたこともあって、当日、帯結びを私が皆様の前で披露しなくてはいけなくなっても、彼女が私の側にずっとついていてくれました。そして、着物についての質疑にもDalbyさんが応答してくれていました。私の経歴も皆様に紹介をしてくれました。彼女がいてくれたので、私も緊張することなく、帯の変わり結びを披露できました。腰紐が足りなかったので、自分のワンピースのベルト紐を抜き出して仮紐にしたりして、アメリカ人の観客の人たちの歓声が面白かったです。少しパフォーマンスが入ってしまいました。
変わり結びが出来上がって、皆様に見せると「OH!」と声が上がったので、とても形に出来てよかったと思いました。

最後の締めの言葉で、この美術館の最高経営責任者のMaryclaire Ramseyさんが「Hiroありがとう」と言ったときに、皆様の拍手がいっせいにわきました。とても感動して、呆然として、立ち上がって皆様の拍手に答えないと行けないのに・・・ちょっとホロッとして立ち上がることすら出来ませんでした。

帯の飾り結びの出来映えは、納得がいく物ではありませんでしたが、一本の帯でいろんな形が作られていくこと、
着物や帯、結び方一つ変えるだけで同じ着物と帯とは思えないほど多様な表情に変わる、それだけの素晴らしい可能性を秘めている帯結び、を伝えることができたのではないかと思います。

心通い合うメッセージを、形に作ることが出来てたような、会場と一体感が生れた帯結びを披露してよかったと思いました。




10/19/2009

人気作家Liza Dalbyとのランチ


テキスタイルミュージーアムでのシンポジウム“From Kimono to Couture”参加二日目、ライザ ダルビー Liza Dalbyとランチをご一緒する約束をしていました。
彼女は、今回のシンポジウムのプレゼンテーターで、主賓でもありました。そんな彼女とまさかランチをご一緒できるなんて、ランチをする席に着くまで疑ってしまうほどでした。

Liza Dalbyは、「芸者」のことを題材にした本を書き、最近、紫式部について書いた本が、日本でも高く評価されました。今回、”Hidden Buddhas”を出版したばかりです。
写真の本は、アメリカ人の着物好きの人なら必ずと言っていいほど持っている本です。彼女は日本文化の研究者でもあります。幼い頃から日本の文化に興味を持ち、彼女自身が佐賀に暮らし、京都で芸妓の修行をした経験があり、お話をすると驚くほど、「和の心ってこういうものなのかもしれない」と逆に私が凄く考えさせられます。
ランチの席に着くまで、今回のメインプレゼンテーターということもあって、いろんな人に声をかけられていて、二人で食事なんて無理なのかなって思いましたが、Liza自身が私のために作った時間だと言ってくれて、実現しました。
このシンポジウムに参加する前に、Lizaから「あなたのwebページが大好き」とメールでメッセージをいただいていました。ワシントンDCに向かう時から、Lizaに実際にお目にかかれるだけでもと、ワクワクしていました。

ランチでは、日本舞踊や能の話、そして、彼女が今課題としている「粋」について、アメリカ人にどのように伝えるかということで、話が盛り上がりました。
そして、彼女がとっても関心を示してくれたのが「能」の話でした。
私は以前、能を習ったことがあるのですが、能の先生が「観客に不親切な舞台」と面白いことを言っていました。見る側の観客の想像力を引き出すので、通常の舞台芸術のように一つの表現を分りやすく形にしてしまうより、形にしないことで各々の観客の想像力と感じ方に委ねるところを持っているのが、能舞台だと、そんな鑑賞の仕方を教えていただいたことがあります。そして、能シテ方(舞う主人公)は、舞台上で静止しているように見える時があるのですが、例えて言うのであれば、駒が高速回転しているような状態で、高速回転している時に駒が静止しているように見える瞬間に似て、実は、全身全霊で内なるところから高速回転しているようなテンションを秘めて能を「舞」のだそうです。舞う、そのテンションと観客が共鳴できる瞬間に、無限大の想像の世界は観客の心に各々の形で宿るのかもしれなくて・・・
こんな話をLizaにしたら、彼女が「私が、モヤモヤして言いたかったこと、あー、そう言うことだった。素晴らしい言葉ですね」と言ってくれました。 そして、彼女が最も好きな言葉を教えてくれました。世阿弥の「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
昔からの知り合いのように、Lizaととても共感・共鳴できることが多くて、でも、着物の縞の話では、お互いの解釈が違ったので、Lizaの視点で、もう少し縞模様について調べて見ようと思いました。話が尽きなくて・・・
いつの間にかランチタイムの1時間がアッと言う間に過ぎてしまっていました。
「ニューヨークに行くときは、着付け教室を見に行くわっ」とLizaが言ってくれました。
“えええー、本当に!?” と思いましたが、そう思えたことも、今の瞬間でさえ本当になっているもので、本当に起こる日が来るかもしれないですね。
「約束ですよ」とお話をして、次のセクションがはじまるので、cafeでお別れしました。

写真は、Lizaとご一緒にランチのあとにコーヒーを買っているところです。

10/17/2009

テキスタイルミュージアムシンポジウム一日目

ワシントンDC、昔、親と旅行で来たときは退屈な街だと思いました。
でも、今回、目的があったということも大きいのですが、さすがーーーワシントンDC、アメリカ首都だと実感しました。
ワシントンDCのテキスタイルミュージーアム Textile museum (染織美術館)で“From Kimono to Couture”と題したシンポジウムが開催され参加しています。

そして、シンポジウム前夜祭のレセプションに参加したら、なんと、藤崎一郎大使が出席されていました。
そして、来ているお客様も凄い客層!
ミュージーアムの中庭がパーティの本会場でしたが、生憎の雨にもかかわらずテントを張っての素敵なパーティ会場でした、写真はミュージアム内の、受付をしているところです。オシャレな人が沢山来ていました。

レセプション会場では、テキスタイルミュージーアムの館長さん、また、藤崎駐米大使とお話をする機会に恵まれました。
着物についての自分の夢をいろいろ語りましたが、「そういうあなたが着物を着ていないじゃない!」と藤崎大使から痛恨の一撃です。
すみません・・・荷物が重くなるのが嫌だったので・・・。

名刺を渡せて、そして、藤崎大使を含め多くの方から名刺をいただき沢山着物についてお話ができました。
夢を形にするって・・・形に出来るタイミングにアピールをどれぐらい出来るものなのかもしれなくて。でも、やはり、「確たる思いがあれば大丈夫!」とも思いつつの夜でした。

でも・・・着物を着ていくべきでした。

10/12/2009

Serizawa展のレセプションで


先日の10月8日、ジャパンソサエティーで、芹沢けい介の作品展が一般公開する前のプレビューレセプションがあり、参加してきました。
出展している作品の数が多く、凄く見応えがありました。
芹沢けい介は、染色工芸家で、型絵染の人間国宝です。工芸デザインの父と呼ばれる、柳宗悦に師事しました。

紅型の影響を受けたと言う芹沢の型染めした着物を見るのがとても楽しみでした。
まさに、紅型!と言えるような着物がありました。紅型の色差しで用いられる隈取と呼ばれるぼかしの技術(染料:赤・青・黒のいずれかで花の芯や葉脈の部分をぼかすように塗りこみ、色の調子を複雑にする手法)が使われる特徴が、芹沢作品に活き活きとしていました。
華やかな色彩の手法と工芸デザインナーとしての感性が際だっているのか、人が着用した時の立体感が、「華やかな色彩が際出たせるのだろうな」って、見ているだけでも、そんな着物の印象を受ける素晴らしい着物でした。

カレンダーや、ブックカバーなどのデザインもありました。
なんだか懐かしさを感じました。昔、祖父の家のこんなブックカバーがある本を見つけたことがあるなって・・・。

素敵な紅型手法の芹沢作の着物に出会い、またニューヨークに引っ越しをしてきてから大変お世話になっていた方との再会も重なり、とてもとても楽しい時間でした。

展覧会のリンク先
Serizawa: Master of Japanese Textile Design
in Japan Society, New York

写真はレセプションの様子。

10/04/2009

久しぶりのお稽古

日本舞踊のお稽古をニューヨークではじめました。
とても久しぶりの日本舞踊のお稽古です。

伺ったときに、調度、先生の舞台があるとのことで、その舞台衣裳を見させていただきました。
帯が、付け帯で、「吉弥」(引き抜き結びの貝の口)でした。

吉弥結び」は、延宝期(1600年代後半)の歌舞伎名女形であった上村吉弥が始めて結んだ帯結びです。カルタ結び(カルタを3枚並べた様なのでこう呼ばれ、男女の区別なく結ばれた)この、カルタ結びが変化された流れの上にある結びです。

帯結び、その結びのルーツをさかのぼると、原点はお相撲の「横綱にあり!」と言う笹島寿美先生のお言葉。
相撲の横綱の「雲竜型(うんりゅうがた)」と「不知火型(しらぬいがた)」の綱の結びに見ることが出来るそうです。(雲竜型は、片わな結びで、不知火型は諸わな結び)

舞台衣裳などを見ると、「いろんな帯結びや結びの表現があるのだな」と思いますが、常に原点に戻れるところを意識しています。なので、結びの原点である、横綱の結びをふっと思い出してしまいました。

お稽古しているところの写真がないので、今回は、昨年、ニューヨークに引っ越す数日前に見に行った相撲の写真です。両国国技館でした。
私は、着物を着て枡席でお相撲を見ました。





この時の土俵入りは、朝青龍は雲竜型の結びで、白鵬が不知火型でした。

なんと千代大海が横綱朝青龍に勝った試合でした。
座布団がいっぱい舞いました。
予測外のことは勝負の世界では常にあることですね。互いが真剣なのですから。

久しぶりの日本舞踊のお稽古、素晴らしい先生にも出会え、「潮来出島」のお稽古をいただきました。
今週もお稽古のお約束をいただき、今から楽しみでなりません。

9/27/2009

彼から彼女のために結ぶ帯結び


オハイオ州に住むアメリカ人の方が、ニューヨークに来る用事があるとのことで、ニューヨーク滞在中、着付け教室のお稽古を受けたいと問い合わせがありました。
その方は、2年間日本に住んだことがあり、着物を着たことの経験はあるとのことでした。着付けのハウツー本も買って自分一人で着物を着ることにトライをしてみたこともあったそうですが、なかなか思うに(本のようには)着られなかったそうです。

メールでの問い合わせ内容には、自分が着物を着られるようになれるレッスンを受けたいことと、もう一つ、ふくら雀も結べるようになれるレッスンを希望してきました。
ふくら雀は、一人で着られるようになることは非常に難しく、人への結び方を習得するのなら可能かもしれないことを言ったら、なんと、自分のboyfriendに「ふくら雀の帯結びを教えて欲しい」との希望でした。

レッスンの当日、本当にオハイオ州から来てくれました!
先ずは、1時間30分、彼女自身が自分で着物を着られるようになるようにレッスンをしました。何度か自分でも着物を着られるようにトライをしてきたことがあるのか、ポイントを教えれば、覚える飲み込みが早かったです。ただ、帯び結び、特に名古屋帯で一重太鼓を自分で結べるようになるには、悪戦苦闘していました。
そして、少し休憩をとったあと、2時間弱ほど、彼女のboyfriendに、ふくら雀の結び方を教えました。彼女が振袖に着替えて練習台になってくださいました。

男の人が帯を結ぶってとても格好いいですね。まるで男衆(舞妓さんなどの着付けをする男の人)みたいでした。男の人は力があるのか、私の場合、腕力だけでなく胸など自身のボディーを使って帯山の形が崩れないように帯枕を押さえて、帯枕の紐を結んだりしますが、その彼は腕力だけで帯山に当たる形作りを綺麗に作れてしまいます。
なんだか少し悔しいですが、男性の腕力は帯結びにはとても適しているのだなって、間近で見ていて思いました。たしかに江戸時代、歌舞伎役者の女形・瀬川路考が舞台で文庫を結んでしまったら解けてしまい急いで手先で結びを締めたら、今で言うお太鼓の形になった(路考結び)、そのような歌舞伎の所作から発展した帯結びと言う側面も兼ね備えていることを考えると、女形が長く重たい帯を、紐を結ぶかのごとくに立ち回りをする姿は舞台映えしたことと思います。帯が、そこから来ている長さと重厚感であるとすれば、男性が結ぶ姿は様になるのも頷けます。

写真は、彼が、彼女ために結んであげたふくら雀です。また、緋扇(相生)も教えてあげようと思って、私が作ってみたら(前回のブログ「婚の装いに想いを込めて」の相生の写真はこのときに作ったものでした)「バランスをとるのが難しそう、ふくら雀だけで今回は大丈夫です」とのことでした。立て矢系は、とても難しく見えたそうです。
レッスンのあとのお片付けをしているとき、彼は腕や手の指先を動かしていて、帯結びの所作(技術でなく所作という感じに見えました)を復習していました。

昨日、二人からお礼のメールが届いていました。オハイオ州の家に戻って復習をして、着物を着られるようになってきたことと、また更に帯結びを習得したいとのこと。
男の人が彼女のために帯結びを覚える、素敵ですね。

9/21/2009

婚の装いに想いを込めて


先週の土曜日にコネチカットに出張して、結婚式の着物の着付けをしました。 コネチカットのミドルタウンは私の住むニューヨークからAmtrak(国鉄)に乗って3時間ほどのところにあります。
本当に、素敵なお二人と、結婚式でした。
着物は振袖でしたので、帯結びは、立て矢系の「相生」にしようと思いました。
帯結びの「相生」は、能の「高砂」の謡から表現してつくれられたもので、花嫁の結びとして婚礼の場で広くつかわれています。相生とは、黒松と赤松が一つの根から生え出た松のことをいいます。長寿を表す「松」と、夫婦和合が続くことをめでたく謡っているのが「高砂」です。

花嫁様のご希望を聞いて、「相生」を元に、更に変わり結びを作りました。
こちらの写真は、考え中の帯結びです。少々「相生」には見えないながらも、更に発展性として、新郎新婦の新たな門出に、幸せ広がるように作りました。

結婚式と着物と言えば、「神前式」というのがすぐ浮かびます。
でも、現代のような神前式は、1900年(明治33年)に、後の大正天皇が皇居の賢所において婚儀されたのを記念して、東京大神宮が一般用に式場を設置したのが始まりとされていて、当時、ほとんどの人は自宅婚で身分にかかわりなく花婿の家で行われるのが普通でした。神前結婚式に本格的に移行したのは、戦後の高度成長期1950年代からだそうです。
自宅婚の当日、花嫁は早朝から風呂に入って身を清めてから支度をしました。そして、神仏にお参りをして先祖に報告をします。その後、家内一同と親族が祝い膳を囲み、門出のお祝いをして仲人と、花婿の家からの迎えの人と一緒に花婿の家に向かいます。

百日草のwebサイトに載っている、千葉益子先生のお言葉に
「青々とした麦畑の間を、つのかくしの中に顔をうずめる様にして手をひかれてゆく花嫁を、あこがれと驚きで見惚れていた私。その幼かった心に一粒の麦は落ちたのです。」
千葉先生が幼い頃に家から見ていた様子が文面から伝わりますが、初めはこの文を読んだときに、「花嫁さんがどうして外を歩いているのかな?」と不思議に思いました。
「婚」の装いを勉強すると、上に書いたとおり、実は少し前の昔まで、自宅婚がほとんどだったことが分かりました。千葉先生は明治生まれなので、千葉先生の幼い頃は、自宅婚の結婚式がほとんどだったのでしょう。花婿の家から迎えに来た人の手にひかれてゆく花嫁さんの姿を、千葉先生は見ていたのですね。きっと、美しい情景だったと思います。

その美しい花嫁を引き立たせる花嫁衣裳ですが、
元々打掛けは、武家社会においての女性の正装でした。
そのためか、花嫁衣裳の「白無垢打掛」には武家へ嫁ぐ覚悟を示す物が多くあります。いざという時の覚悟を秘めた「懐剣」や「抱帯」などの花嫁衣裳の小物は、その象徴のように思います。なんだか格好いいと思いましたが、それだけではなく、女性の身だしなみである「筥迫」を胸元に入れておく、そこがとても素敵だと思います。

婚の装いは、沢山面白い発見があります。

コネチカットから結婚式の着物の着付けのご依頼があって、帯結びを考えていたときに、「婚」の装いについて再度本を読み直しました。結婚式で着付けをするって、とてもとても素敵なことだと思いました。
二人の祝福を心から願って。

参考文献 「日本のしきたりと礼装」著者:石川満子 出版:百日草

9/12/2009

簪 かんざし


こちらは、京都の金竹堂の簪(かんざし)です。
ニューヨークに届いた本物の舞妓さん用の簪です。
箱を開けたときにあまりの美しさに感動しました。その瞬間を写真におさめました。
「つまみ簪」と言って、布を小さくカットしたものが幾重にも重なり花を表現します。こちらの布は、絹の羽二重で出来ています。羽二重と言えば、着物の裏地としては最高級です。多くは花をモチーフにしているので、花簪とも言うそうです。

舞妓さんが付ける花簪は月ごとに決まっています。舞妓さんになって一年未満は花の一つ一つが小さく、簪の下に垂れ下がる「ぶら」が付いていますが、二年目以降はぶらが取れて、年長になる程花が大振りのものになっていくそうです。
こちらの簪は、小菊で、花の一つ一つが小さいので、舞妓さんになって一年未満の方が10月につける簪なのだなってことが分かります。

舞妓さんの着姿の完成された姿には、簪一つとっても、季節や、芸を磨いた年数などがそっと意味をもって、美しく表現されているのだなって思いました。

着付け教室の生徒さんたちにも見せました。アメリカ人の生徒さんは、その美しさに「ウワー」と歓声をあげていました。

アメリカ人の着物好きの人たちの間で人気のある、講談社インターナショナルから出版されている「A Geisha’s Journey」と言う本があります。この本の主役の芸妓の小桃さんは、はじめ舞妓を6年ほどやったら、やめるつもりだったそうです。そして、舞妓での自分の経験を通し、日本文化を海外に伝えられたらと思ったのだそうです。でも、日本文化を伝えるには芸妓になってからでも伝えることが出来るのではないのかと思うようになり、一本の道を究めることで伝えていくことにしたそうです。

一本の道を究めようとした人と、一本の道を究めてきた職人さんたちが織りなす世界は、強く美しさを感じます。
そして、一つの道を究めることは、大変な努力がいることを最近痛感いたします。

そんな織りなす世界を、着物を通して、伝えて行けたらと思いましたが、私の着付け教室に通ってくださっているアメリカ人の生徒さんたちに、まだまだ英語力がなく、一つのことを伝えるにも悪戦苦闘です。一年もアメリカに住んでいれば、自然と英語が身につくと思っていましたが、それはとんでもない話です。勉強しないと身につかないものなのですね。仕事の合間に時間を作って本格的に英語の勉強をはじめました。通っている学校のクラスメートには、日本人は誰もいなくて、ロシア人の方とご一緒しています。ロシアから来ている人は、英語の勉強のためにニューヨークに来ているのでとても真剣です。
自分の伝えたいことが伝えることが出来ない以前に、自己紹介さえ十分に表現ができず通じない場面に多々出会います・・・こうした学校に通うことで、とても最近、「初心」を意識させられます。そして、初心がとても大切なことにも気がつきます。

英語の習得一つにしても、何事においても「真剣」である世界は、素敵だと思いました。

簪を見ながら、
私も、今の仕事を通し、アメリカで一つでも「伝える、伝わる」ことが出来るようになりたいです。

8/23/2009

アメリカの撮影現場、伝えること難しい


この写真は、3月に参加したアメリカの最大手携帯電話会社Verizon Wireless撮影現場です。
先日、ある人から撮影現場の写真がいくつか送られてきました。自分の仕事現場の写真を見るのは初めてで、嬉しかったです。

ここで撮影したVerizonWirelessの広告は、今では、新聞The Wall Street Journalをはじめとして、各雑誌、またサンフランシスコ空港やニューヨークのニューアーク空港でポスターがでているそうです。
友人から、「ポスターが出ていたよー」と、写真付きでメールを度々いただき、とても嬉しく思いました。
この撮影では、私のニューヨークの着付け教室に通ってくださっていた生徒様の一人が手伝ってくださいました。生徒様は、撮影後直ぐに日本にご帰国されてしまいましたが、日本では銀座のウェディングサロンで着付けの仕事が決まったなど、朗報がありました。

そして、その写真を見ながら、撮影現場でのことを思い出してしまいました。
この撮影ではスタッフ全員がアメリカ人なので、着物の「着付け」という技術の概念がないためなのか「着付け」をフィッティング程度にしか認識されていませんでした。撮影前にプロデューサーに「着付け」について説明はしていましたが、それでも、15人ほどの着付けを「30分以内に済ませて欲しい」など現場で言われました。「そんなこと無理」と言いながらも、兎に角、着物の着付けをしながら、出演の俳優さんたちには、着付けが終わった順にスタジオに走って駆け込んでいただきました。かなりドタバタな撮影現場でした。

そして、撮影が終わりホッとして、もう広告になるのを待つだけと思ったら、なんと、出来上がったポスターが編集の過程で、一部の着付けが画像ソフトで鏡像という処理(鏡に映った状態)、すなわち衿の合わせが左右逆になって編集をされてしまったというハプニングが起こりました。
出来上がったポスターを見ていてはじめは何だか変だなと思ったのですが、しばらくして急にアッと気がつきました。慌ててプロデューサーにメールをすると、30分以内に電話がかかってきて、「こんな小さなこと誰も気がつかないわよ」と言われてしまいました。そこで、着付けというのが歴とした職業技術として存在し、正しい着付けの技術を編集作業で変えられることによって、誤った着物の着方がポスターになるのは、とてもシリアスな問題であると言うことを繰り返し説明しました。そして衿が逆になっていた振袖は、万が一着付けが間違っていると柄が出てこないため、自分が間違った着付けをしていないことは物理的に証明出来ることなどを説明した上で、先ず、編集によって衿の左右を逆にされてしまったことをプロデューサーに理解していただき、正しい衿合わせがどんなに重要であるかの説明をいたしました。真剣にうったえる私に、プロデューサーも問題をとても真摯に受け止めてくれて、スポンサーに修整の時間をいただくように御願いしてくれました。最初、スポンサーは、「既に印刷作業に入っているため、今から修整すれば、広告の告知の日をずらさないといけないなど多額の損失がでる恐れがあるため、修整は難しい」と取り合ってくれなかったようです。それでも、プロデューサーがスポンサーに直接説明に伺ってくれて、編集作業によって変えられた部分に関し修整の時間をいただけることになりました。
その後、私も、参加してくれたスタッフ皆様も、徹夜で修正作業をやりました。

実はプロデューサーにメールを書いたときに、既に出来上がったポスターなので修整はしていただけないと諦めていました。ここはアメリカだし、「こんな小さなこと誰も気がつかない」で話を終わらされてしまうかと思っていました。ここまで真剣に問題視してくれて、対応くれたことはまるで奇跡のように感動しました。
編集の過程で鏡像にされてしまうとは想像も出来なかったとは言え、私が英語を流ちょうには話せなかったので、アメリカ人の視点にたって日本の着物について伝えなくてはいけないことを伝えきれていなかったことを痛感しました。
いろいろあったのに最後は、「本当にありがとう」とプロデューサーさんが私に言ってくれました。
プロデューサーさんのほうがスポンサーなどに怒られて大変だったと思うのに、ジンワリ感動が胸に込み上げてきました。
そして、こうした人たちと、ご一緒に仕事が出来た巡り合わせに感謝しました。
その時の撮影現場の写真が、今頃になってですが届き、もう5ヶ月もたちますが、3月での撮影現場のこと、その後の修整のアクシデントのことなど、思い出してしまいました。
撮影現場での写真をいくつか添付します。
素晴らしい方たちとご一緒出来た時間でした。

*全ての着物を準備、そして、着付けて、現場で走って・・・。
ブレた写真だけど、撮影現場の自分の姿を見るのは初めてで、とても良い記念になりました。

8/18/2009

NYメトロポリタン美術館の着物


以前、誰かからニューヨークの「メトロポリタン美術館の着物コレクションは凄いよ」と聞いたので、お勉強だと思って見に行ったら、この一点だけでした。

コスチュームだけを扱った展示コーナーもありますが、そちらは閉館中。
でも、美術館の人に聞いたらそちらに展示されているコスチュームは西洋ドレスが中心のようでした。

お土産売り場で着物の本を一冊買ってきました。
本はJAPANESE Kimono DESIGNS 著者 Shoujiro Nomura。
こちらの本に、メトロポリタン美術館にあった着物と似たものが載っていました。本には、1804-1818年のものと記されていました。
メトロポリタンで見た着物も同じ年代の着物かな?
着物の説明書きを読んでくるのを忘れてしまいました。なので、年代もチェックできませんでした。とても期待して行ったので「あれ?この一点だけかしら?」と思っているうちに日本の展示がされているコーナーは見終わってしまいました。
でも、今度メトロポリタン美術館に行くときは、説明書きもノートに写してこようと思います。

やはり、日本の展示しているコーナーでは、北斎、広重がとても人気がありますね。良いものは、時を超え、土地を越えなのでしょうか・・・。

8/15/2009

夏には麻の小千谷縮


今回の夏、小千谷縮がニューヨークの家に届き、密かに夏を楽しめる贈り物のような存在です。
袖を通して、「こんなに清涼感を感じる着物があるなんて」と思いました。
ニューヨークは日本より湿度が低いとは言っても、雨のあとは少しモアとした湿っけがある暑さを感じます。今年は雨が多いです。なので、この爽やかな着心地の麻の着物が絽や紗よりお気に入りになっていました。
天然の苧麻(ちょま)から紡いだ細糸だけを使った麻織物が小千谷縮です。
私の小千谷縮のあまりぎれ(仕立ての後に余った布(余り裂・あまりぎれ))には、製造元の刻印とともに小千谷縮についての説明が丁寧に書いてありました。
「緯糸に強度の撚りをかけ丹念に織り上げ、入念に”湯もみ”をすることによって独特のしぼを生じさせて、名品「小千谷縮」となります。何百年も変わらぬ風合いを持ち続け、そのさらさらとした肌触りと清涼感は夏の着物としてはもちろんのこと、シャツ、ブラウスなどの洋服や、寝装品としてもご愛用いただいております」
寝装品・・・確かに、寝苦しい熱帯夜には良いのかもしれないですね。

着物の柄は大好きな縞、キリッとする感じがします。
そして、箪笥に眠っていた麻の帯・・・、なんだか着物ととっても相性が良い。
これだけ、相性の良い着物と帯がそろうと、帯揚げ帯締めが・・・なんだかつけたくなくなる。
思い切って、逆に個性的に絞りの帯揚げに羽矢の帯締めをしてみました。不思議に、なんだか面白く良いです。
ザックリと着て、着心地の良さがそのまま普段着の装いとして反映されるって、粋な感じがして、こうした着物とも身近に付き合えるのが夏の着物の少し贅沢な楽しみなのかもと思いました。

8/11/2009

帯結「貝の口」一つにしてもPart2

前回の"帯結「貝の口」一つにしても"のPart2です。

駒込和装学院の小田嶋先生から、前回の私の悩み、「貝の口」を結ぶ時、「手先が左右どちらにでるのか?」その疑問について更にご回答をいただきました。

「帯を巻く方向は、左方向に巻きつけていくのが関東巻(歌舞伎巻)、右方向が関西巻(太秦巻)と言うようです。
歌舞伎役者の人は左巻きに人が多く、太秦巻は時代劇の撮影のある、あの「太秦」からきているこちらは京都という場所柄か右巻きが主流と言うより左巻きはほとんど存在しないようです だから帯の右巻きを「太秦巻」と呼んでいるようです。
と言う事で巻き方によって、男結びの手先が左にきたり右にきたりします。
今度歌舞伎や時代劇を見る時、チェック!!!」

帯結「貝の口」一つにしても、面白い発見がいっぱいあります。
前回は、「教科書の読み取り方の違いだけか?」と不思議にそのまま納得してしまった自分がお恥ずかしいです。

早速、歌舞伎の本を開きます。
時代劇・・・久しぶりに日本の映画を見ようと思いました。

そして、もう少し、私も踏み込んで勉強しないと思いました。
小田嶋先生から解答をいただき、更に、どのように着物を学び伝えていくかを教わったように思います。

日本はお盆に入られるのですね。
先生、ありがとうございました。

8/10/2009

帯結「貝の口」一つにしても

こちらの写真は、私の着付け教室に飾っている、蘭の花です。
近所の花屋さんで買ってきました。蘭にもいっぱい種類があるのですね。詳しくは分からないのですが、この蘭はとても丈夫で、2週間に一度しか水を与えなくていいみたいです。フラワーアレンジメントしている方からご指導いただきました。

昨日、一昨日と悩んでいたこと。男の方の角帯、女の方の浴衣などで半幅帯などで結ぶ「貝の口」の結び方。
(貝の口は、江戸時代の町人、商人の帯結びです)
駒込和装学院の教科書を再度読み直していたら、貝の口の結びが、て先が背中心から左に出ていて「男結び」と書いてありました。他の本、別冊家庭画報「男のきもの着こなし入門」指導・笹島寿美先生や、「銀座もとじの男のきもの」監修・泉二弘明などでは、手先が背中心から右に出ていました。
「貝の口」と「男結び」は違うのだろうか?・・・ネットで調べると、貝の口の結びで男女の違いを、「手先を半分に折るのが男で、手先を半分に折らないのが女」と載っていました(でも男女とも背中心から手先が右に出ていました)。
「きもの用語大辞典」装道きもの学院編によると、「男帯の結び方、貝の口3種」と絵が載っていて手先が左側に出ており、手先の半分に折った輪が上になっていました。
本によってもいろいろで、小さな疑問がどんどん深みにはまりそうになったので、駒込和装学院の先生に聞いてみました。教科書での、背中心から手先が左に出ているように載っている絵図は、本人が前で結んだ状態で、それを後ろに持ってくると背中心の右に手先が出るようになっているそうです。教科書の絵図からではそこまで読み取ることが出来なくて、聞いて良かったと思いました。
こんな小さな疑問にも丁寧に答えてくれた先生に大変感謝いたしました。
不思議で、日本では疑問に思わないでいたこと、きっと、貝の口の帯結び一つにしても、日本舞踊のお稽古場などに行けば見慣れた風景だったのでしょう。こちらニューヨークでの生活が1年過ぎると、とても小さなことでも、疑問に思うと解答を探そうとしてしまいます。本当は、こういうことに解答を求めないでいるほうが自然なのかもしれないのですね。

2ヶ月前に駒込和装学院の連鎖教室として継続の手続きをとりました。
そして海外での着付け教室の運営について、駒込和装学院からご指導をいただきました。
指導いただいた内容を、着付け教室のカリキュラムに反映し、先週の土曜日にホームページを更新しました。
今でも、先生方たちに沢山のご指導をいただき、とても嬉しく思います。
そして、このような小さな疑問にも丁寧に返答いただけて、私もそのお気持ちを失わないようにしていたいと思いました。帯結び「貝の口」一つにしても・・・ニューヨークの生徒様に伝えられること私で出来る限りのことしていきたいと思いました。
教室のホームページhttp://www.kimonohiro.com/main.html

7/30/2009

五耀会 西川箕乃助

私が東京で日本舞踊のお稽古を頂いた西川箕乃助先生は、西川流の宗家十世西川扇蔵の長男です。箕乃助先生から五耀会の案内が来ていました

五耀会

ニューヨークにいると、映画の影響もあり「日本舞踊=芸者」とする向きを感じますが、それは一つの解釈にしかすぎなくて、日本舞踊は、現在およそ200を越える流派が存在すると言われ、その中でも「五大流派」は、花柳、藤間、若柳、西川、板東、と言われています。
それだけあれば、そして歴史の長さからしても、いろんな解釈がされてしまうのも頷けます。
そして、五大流派各々にも特徴的な解釈があります。箕乃助先生が言うには、「藤間、西川は歌舞伎の所作だからとても大胆、花柳は御座敷芸だから繊細な細やかさ」
母に言われたこと「花柳の門をくぐりなさい」と、でも学術的にですが歌舞伎に没頭してしまい、どちらかというと、歌舞伎の物語を感じることが出来るような舞踊、板東や西川流の舞踊を見るのが大好きでした。自身が舞うのは実は苦手でした。小さい時に、(流派は控えますが)日本舞踊のお稽古に通いはじめ、どうにも「クネクネした感じ」が私はダメで自身の姿に可笑しくなってしまい・・・お稽古にまじめに通いませんでした。
どちらかというと、後々にヒョンなことで出会った能のお稽古の方がとても楽しかったです。お腹の底から声を出す一声目の緊張感が大好きでした。
紆余曲折しつつ、西川箕乃助先生にお稽古をいただき、日本舞踊を「舞う」「踊る」とは違って、お稽古中、物語の主人公になりきった感じでした。「宝船」を踊るときは、扇子をお腹の前にすえて、足を蟹股に広げて腰をズッシリ下ろし、右足ドッシリ身体を傾け、左足に全体重ドッシリ踏み込み「布袋」を演じるように舞います。もう、面白くて、面白くて!少々細身である私が扇子一つで、そして所作で、「舞台の向こう側にいるお客様は、私が布袋さんに見えるのかな?」って・・・。

その「日本舞踊」についてですが、・・・一言では、ここでは書ききれないのですが、
日本舞踊協会のページによると、
先行芸能である「舞楽」「能楽」の要素は勿論、様々な民俗芸能のエッセンスが、洗練された形で含まれており、古代から現代に至る日本の芸能の集大成とも言えるものです。
日本舞踊は、400年近い歴史を経て、現在では、歌舞伎を母体とするいわゆる歌舞伎舞踊、
座敷舞の伝統を持つ上方舞や京舞、新しい創造を目指す創作舞踊など様々な顔を持っています。
しかし歴史的にその発祥から現代までの少なくとも400年の歳月の中で、それを更に300年を遡る時代に存在した<能>を始めとする先行芸能の技法を継承し、これに新しい時代に工夫された技法を加えて洗練を重ねて大成されたのが日本舞踊です。
これを要約して言えば「日本舞踊」とは、その大成以前から伝承された古典技法を基礎とし、舞台で表現される芸術舞踊ということになる。
と、あります。
この説明書きを読むと、今改めて、箕乃助先生の日本舞踊のお稽古に能のお稽古が自分の中で合わさり、楽しさの相乗効果があったと思いました。

そして、今回、箕乃助先生からメールが届き、「五耀会」の案内が来ていました。
「さて、私と40代の日本舞踊家4人で五耀会という同人の会を立ち上げました。
習い事としてだけでなく、鑑賞する舞台芸術としての日本舞踊を少しでも認知していただきたいという強い願いのもと会を立ち上げました。」
とのメッセージです。
本当に、箕乃助先生の踊る世界は、「舞う」と言うより、物語が手にとるように感じる舞台芸術です。
こんな言い方をしたら歌舞伎に失礼ですが、もし、歌舞伎の上演時間が長く感じ、強いては台詞が少々長く感じたと言う人がいらっしゃったら、テンポのある日本舞踊で、物語を感じてみてください。そこからまた、同じ演目の歌舞伎を見るのも面白いものです。
同じ題材で、歌舞伎での表現と、日本舞踊での表現を比較するのも大変に面白いです。

私がThe New York Timesという新聞に着物のことで今年の4月に載ったときも(記事;Wrestling the Silk)、恐れ多いと思いつつ箕乃助先生にお知らせしたところ、「素晴らしい!」と一番に言ってくださいました。
とても嬉しかったです。
箕乃助先生にお稽古をいただいていなければ、今の私も違っていたかと思いました。

五耀会、ご興味のある方は、こちらまでお越しくださいね。
http://www.goyokai.com/

7/18/2009

ハリウッド俳優Dannyのミュージックビデオ撮影に参加


先週の日曜日、滞在先のスペインからニューヨークに戻ると突然、ハリウッド映画に70本出演している俳優であり歌手でもあるDanny Aielloのミュージックビデオ撮影で着物スタイリストとコーディネートをしてほしいとの依頼が入ってきました。Danny Aielloと言えば、私の大好きな映画「Dinner Rush」に出演している素晴らしい名脇役のハリウッド大物俳優。ゴッドファーザー2、レオンなど数々の名作にも出演しています。
Dannyの新曲CDのプロモーション(ミュージック)ビデオで、私が担当する場面は、Dannyが歌う後ろから女優さん2人が着物を着て登場すると言う一場面での着物スタイリングでした。
そして、撮影日まで時間もなく、依頼受けてから4日後には撮影でした。
詳細打ち合わせの時に、トラディショナルな感じでなく、かなりモダンな着物の着方で、「タンゴ調に」と言っていると思ったら「フェデリコ・フェリーニ風に」などなど、ご依頼してくれた方も、イメージが固定していませんでした。バックダンスには、タンゴを踊っている人もいるとか・・・。撮影現場に行ってから、「即興で考えるしかないな」って思い、撮影当日それなりの数の着物と帯を持っていきました。
撮影は、Staten Islandと言うところでありました。マンハッタンから車で2時間、3時には出発して、夕方の5時には現場入りしました。撮影スケジュールは翌朝の5時まででした。なんとも凄い時間帯の撮影。撮影現場の家に到着すると、門をくぐると、敷地内には建物が3棟あり、庭には数々の西洋チックな銅像がならび、大きな噴水!海に面していて、家の窓から見る景色は海の水をすくえるような感じでした。豪邸でなくて宮殿!?と言った感じ。
地下室には、音響施設もあり(レコーディングも出来るそうです)、映画の撮影でもこの家はよく使われているそうです。その家のオーナーさんが、私が着物スタイリストと自己紹介すると、日本人の有名な俳優からいただいたと言う素晴らしい着物を見せてくださいました。
そして、Danny、ご本人登場!!!なんと、ご依頼してくれた方から着物スタイリストとして紹介され、Dannyと握手。とってもサービス精神旺盛で、撮影現場にいるカメラマンに着物を着た女優さんとご一緒に写真撮影をしようとしたので、カメラに自分がうつらないように後ろに下がったら、「君も一緒に入りなさい」と言って、一緒に写真撮影。Dannyと自分が並んで写真に写っているなんて夢のようだな・・・。
今回の撮影は、Dannyのお人柄が出ているのか、数々のハリウッド映画をプロデュースしている大物プロデューサーなどがご協力していました。そして、メイクやヘアセットをしているスタッフはなんと美容学校の生徒さんたち。若い人たちにも沢山のチャンスをあげようとしている姿に感動しました。
ただ、少々生意気なのかもしれませんが、撮影現場にはメイクやヘアセットする人たちがいるのは分かっていたのですが、着物に合うヘアやメイクは違うので、とても信頼しているNYでヘアアーティストとして活躍しているシンノスケさんにお願いして、撮影をご一緒していただきました。今回、シンノスケさんが突然な話を快く引き受けてくれてとてもうれしかったです。

そして、出来上がった作品はこちらです。
一度ヘアスタイリングしたのですが、シンノスケさんと話し合って、シャワーキャップみたいにというか「クルクルして欲しい」と私が少々希望を言ったら、シンノスケさんが「映画の”そうせいじ”みたいに!」と了解してくれて、作り直してくれました。こうしたアレンジしている時ってとても楽しい!
着物を着たまま少し踊るとのことで、帯がゆらめくように、Movieに映えるよう帯は結びました。写真で見ると少々平凡ですが、きっと、動きが入ると面白い出来上がりになるかなと思いつつ・・・。

しかし・・・、なんと、私の担当する場面の撮影までに行き届かなかったというハプニングが起こりました。ご依頼してくれた方が、撮影スケジュール(タイムテーブル)の確認が少しおろそかになっていて、ボランティアで参加してくれた着物を着て出演する予定の女優さんの一人が、早朝5時には、ご家庭や仕事の都合で撮影現場を出ないといけないとのことでした。
ご依頼主もボランティアで参加している女優さんに告げていた時間を超える撮影時間になってしまったことに、これ以上迷惑をかけられないとのことで、着物の場面の撮影が中止となりました。「こんなことってあるんだなー」と、ショックと言うより、呆然としてしまい・・・
撮影現場で私が魂抜けはてたように呆然としていたら、Dannyが後ろから来て、私の腕をつかんで「Sorry」と言ってくれました。Dannyが謝ることではないのにーーー!Danny、あやまらないで!!!と思いました。
Dannyは、とてもとても優しくて、人への思いやりに溢れていて、70本も映画に出演しているってこういうことなのだと胸がいっぱいになりました。
スタッフも良い方たちばかりでした。
お互いの少しの確認不足から起こってしまったこと。仕方がないこと。

撮影現場を出るときに、家のオーナーさんが「Sorry」と言うので、クビをふって、「仕方がないことですよ。とても残念だけど、素晴らしい経験をさせてくれて感謝の気持ちでいっぱいです」と、言うと、オーナーさんがプロデューサーさんやいろんな人に私のことを紹介してくれて名刺を配る機会をくれました。お互いに「Sorry」でなくて、「Thank you」と言って強く握手しました。

家に着いたのは、朝の7時でした。10時には着付け教室に生徒さんが来るので、少しだけ仮眠しました。 ショックが抜けないかもと思いつつ、起きたときに、なぜか、Dannyの撮影現場にいることが出来る機会に恵まれただけでも、心から感謝したい気持ちでいっぱいになっていました。

8月に、Dannyのライブがニューヨークであるので見に行こうと思いました。その時は、着物を着ていこう!
I love Danny!!!
*この写真は、メーキングしているところです。メイクをしているのが、シンノスケさん、出演予定だった女優さんの後ろでスタイリングしているのが私です。

7/14/2009

バルセロナの色彩と沖縄の織物

先日、スペインのバルセロナに滞在していました。
建築ではガウディ、絵ではピカソ、そして、街中のいたるところで見かけるZARAというブランド。そのブランドは、1970年代にスペインに第1号店が出来てから、世界的にも有名になったスペイン発端のブランドです。色彩がスペインぽいと言ったら変ですが、色鮮やかです。

なぜか、その土地の風土を感じるファッションとして、沖縄の南国の色鮮やかな紅型を思い出してしまいました。
そして、その対照的にある、沖縄の織物についても考えていました。沖縄は自然があまりにも明るく豊かですが、その気候から思いつきようもイメージが出来ないような、ロウを引いたように滑らかな光沢をもつ宮古上布など繊細な美術品のような趣をもつ織物が多くあります。そして織物の宝庫です。
私が知っているものだけあげても、芭蕉布、読谷の花織、首里の手縞、琉球絣、久米島紬、宮古上布、八重山上布などなど多種多様です。
一見控えたような中に、あまりに力強い美しい織物が、なぜ出来ていったのだろうと、むかし、疑問に思ったことがありました。
それには、琉球という歴史的な背景があることをいろんな本で読みとることができます。
琉球王朝時代の絣と言えば、白絣の色物は王家の晴れ衣であったり。
絣に次いでの花織は、王家の組織で出した無地物に、色糸を入れて、夜空にきらめく星のような小柄が織られたそうです。花織には、綾と呼ぶ縞がありますが、綾は母親の美称で美しいものを意味します。
そして、宮古上布について岡部伊都子さんが「染織を歴史の証として」で書かれている中には、「琉球王府をしめあげる島津の収奪によって、重々の苛政に、先住民が重税を織物で納めていたこと。その苦役のうちにひらめく美感覚とすぐれた技術能力」などが語られています。
歴史的背景で見る織物もいろんな視点があります。
そして、私がとても共感したのは、「沖縄では衣服はその人の身替りで、織物は霊的な存在でさえあり、美しさの基本を形造った。つむぎ織る作業は女心を織る尊いいとなみである」というお話でした。

時々、ふっと、思い出すこと。
私に着物の着付けや着物について教えてくれた先生は、私がお稽古に伺っていたときには既に70歳を過ぎていました。とても優しい先生でしたが、私が、着物の裾を少しだけまたいでしまったときに、「もう、お稽古に来なくていいわよ」と厳しい口調で言われたことがありました。当時は、「怒られちゃった」と言う程度にしか受け止められなかったのですが、時折、その時の先生の姿を思い出しては、それだけ着物に語り尽くせないほどの愛情を持って教えてくれていたことに、胸が熱くなることがあります。

「織る尊いいとなみ」
美を感じる中には、伝わり継承されていく、基になっている人々の心の中に生き続けているものがあるのだと思いました。


喜如嘉の芭蕉布









読谷花織






*画像は泰流社「日本の染織」より

7/10/2009

スペインのワイナリ-TORRES

今までに、行ったことがあるワイナリーは、シチリアのプラネタからはじまり、南イタリアのMastroberardinoとFeudi di San Gregorio、日本の足利市にあるCOCO FARMと、ニューヨークのロングアイランドにあるLaurel Lake Vineyardなど、そんな中でも、今回伺ったスペインのワイナリーTORRESは、ワイナリーという枠を越えて、「なぜ、ここまでするかな?」と思うほどアミューズメントパークのような面白いところでした。

場所は、スペインのバルセロナ中心地から郊外へと1時間ほど乗車してVilafranca del Penedes 駅からタクシーで10分ほどのところにあります。電車に乗車して20分ほどたつと、ヨーロッパの田舎という長閑な風景が車窓には広がります。

ワイナリーの受付を済ませると(事前予約が必要です)、先ず、ミニシアターで、TORRESのワイナリーについてビデオ鑑賞です。15分ほど放映。イヤホンには日本語ガイドもついています。

ミニシアターのとなりには、大きな壁一面のスクリーンがあって、(写真下)このような画像が流れていました。ワイナリーの四季折々を映像や音でひたすら鑑賞です。
 

そこに長い車(下のような写真の車)が登場し、車に乗車すると、大きなドアが開き、外に出ました。そして、ワイナリー内を巡回いたしました。
外に出たかと思ったら、ワインの樽が貯蔵したセラーの部屋へと入っていきます。真っ暗な部屋で、不思議な映像が流れていました。
ディズニーランドのホーンテッドマンションを思い出してしまいました。
 

暗い部屋で上のような映像が流れてから、電気がつくと、このようなワインセラーの部屋(写真下)でした。
やっと、ワインの試飲!楽しみにしていたのですが、一種類しか試飲がありません。でも、とても安い値段で、いろんな種類のワインを楽しむこともできます。

ワイナリー内の葡萄畑は壮大で土から沸々とわきでるものを感じます。


瓶詰めされたワインがここで横に寝かされています。