9/21/2009

婚の装いに想いを込めて


先週の土曜日にコネチカットに出張して、結婚式の着物の着付けをしました。 コネチカットのミドルタウンは私の住むニューヨークからAmtrak(国鉄)に乗って3時間ほどのところにあります。
本当に、素敵なお二人と、結婚式でした。
着物は振袖でしたので、帯結びは、立て矢系の「相生」にしようと思いました。
帯結びの「相生」は、能の「高砂」の謡から表現してつくれられたもので、花嫁の結びとして婚礼の場で広くつかわれています。相生とは、黒松と赤松が一つの根から生え出た松のことをいいます。長寿を表す「松」と、夫婦和合が続くことをめでたく謡っているのが「高砂」です。

花嫁様のご希望を聞いて、「相生」を元に、更に変わり結びを作りました。
こちらの写真は、考え中の帯結びです。少々「相生」には見えないながらも、更に発展性として、新郎新婦の新たな門出に、幸せ広がるように作りました。

結婚式と着物と言えば、「神前式」というのがすぐ浮かびます。
でも、現代のような神前式は、1900年(明治33年)に、後の大正天皇が皇居の賢所において婚儀されたのを記念して、東京大神宮が一般用に式場を設置したのが始まりとされていて、当時、ほとんどの人は自宅婚で身分にかかわりなく花婿の家で行われるのが普通でした。神前結婚式に本格的に移行したのは、戦後の高度成長期1950年代からだそうです。
自宅婚の当日、花嫁は早朝から風呂に入って身を清めてから支度をしました。そして、神仏にお参りをして先祖に報告をします。その後、家内一同と親族が祝い膳を囲み、門出のお祝いをして仲人と、花婿の家からの迎えの人と一緒に花婿の家に向かいます。

百日草のwebサイトに載っている、千葉益子先生のお言葉に
「青々とした麦畑の間を、つのかくしの中に顔をうずめる様にして手をひかれてゆく花嫁を、あこがれと驚きで見惚れていた私。その幼かった心に一粒の麦は落ちたのです。」
千葉先生が幼い頃に家から見ていた様子が文面から伝わりますが、初めはこの文を読んだときに、「花嫁さんがどうして外を歩いているのかな?」と不思議に思いました。
「婚」の装いを勉強すると、上に書いたとおり、実は少し前の昔まで、自宅婚がほとんどだったことが分かりました。千葉先生は明治生まれなので、千葉先生の幼い頃は、自宅婚の結婚式がほとんどだったのでしょう。花婿の家から迎えに来た人の手にひかれてゆく花嫁さんの姿を、千葉先生は見ていたのですね。きっと、美しい情景だったと思います。

その美しい花嫁を引き立たせる花嫁衣裳ですが、
元々打掛けは、武家社会においての女性の正装でした。
そのためか、花嫁衣裳の「白無垢打掛」には武家へ嫁ぐ覚悟を示す物が多くあります。いざという時の覚悟を秘めた「懐剣」や「抱帯」などの花嫁衣裳の小物は、その象徴のように思います。なんだか格好いいと思いましたが、それだけではなく、女性の身だしなみである「筥迫」を胸元に入れておく、そこがとても素敵だと思います。

婚の装いは、沢山面白い発見があります。

コネチカットから結婚式の着物の着付けのご依頼があって、帯結びを考えていたときに、「婚」の装いについて再度本を読み直しました。結婚式で着付けをするって、とてもとても素敵なことだと思いました。
二人の祝福を心から願って。

参考文献 「日本のしきたりと礼装」著者:石川満子 出版:百日草

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