1/30/2009

ニューヨークで着付けの免状


ニューヨークで着付け教室を開いて6ヶ月になりますが、私の教室から全国和装コンサルタント協会が認める2級講師の免状をだすことができました。
協会では海外の教室から免状を出すのは初めてのことでした。
今回、2級講師の免状を取得した方は、ご主人様の仕事の都合でニューヨークに住んでいました。でも、日本に3月に帰国してしまいます。
「着付けがこんなに楽しいとは思わなかった」と言ってくださって、日本に戻られても、着物の着付けに携わることをしたいとおっしゃってくださいました。
私も夫の仕事の都合で7ヶ月前にニューヨークに引越しをしてきました。そして、右も左も分からない慣れない地で着付け教室を開いたので、通ってくださっている生徒様皆様と一緒に一から作ったような教室でした。そんな中で、今回免状を取得した生徒様が「着付けが楽しい」と純粋に思ってくれた言葉が、免状を出せたことよりも何よりもうれしく思いました。

出張着付けの仕事もしているのですが、いつも着物の着付けしたお客様はとても喜んで下さいます。
でも、なぜか自分の技術に満足できたことがなくて、出張着付けの仕事の後の帰り道は一つ一つ思い出しては考えてしまって、自分一人での反省会状態です。
そんな時に、花嫁の着付けではとても有名な千葉益子先生の言葉に出会いました。
花嫁姿を、こんなにも美しいものがあるだろうかと思いつづけ、双の手に祝福と幸せをこめて四十有余年。その時折の特別な感慨も想われて、フィルムの一こま一こまはつきるものではありません。和服をこよなく愛するこころと、その技を極めたい前向きの情熱が、常に私を支えてくれました。
着付けをするたび「より一層、より一層、その人らしい美と着物の美が引かれあうように表現できたら」と、私もそんな一心です。
今回免状を取得した生徒様に、千葉先生の言葉を伝えたいなって思いました。
着物のやむことのない美が、着る人の美への懸け橋である「着付けの世界」、そんな世界に踏み出す一歩目をお手伝いできたことがうれしくて、習得した技術がこれからにつながることを心から願っております。




生徒様からいただいた手紙
こちらこそお礼を伝えたいなって思いました。

1/25/2009

城間栄順作の紅型に出会って

紅型は沖縄の染物。
戸外的でおおらかな色彩が特徴です。
400年前の尚親王の代に完成され、王宮の風俗として発展してきたもので、宮廷画家たちが琉球の花鳥風月を描き、それを民間に命じて、着尺にそめさせたことにはじまりました。

この写真の紅型の着物は、城間栄順作の訪問着です。
呉服屋さんで絵羽になっているのを見たときから鮮烈な印象を持ちました。実は、それまで紅型をあまり知りませんでした。この着物の美しさに、紅型のことを調べ始めました。そして、着物の作家の城間家が紅型の宗家であること、栄順さんの父、城間栄喜さんが、二次大戦後の廃墟の中から紅型を蘇らせた方だと知りました。
見れば見るほど諦めきれない着物で、買えないけど見るだけでもと気がついたら呉服屋さんに3ヶ月通っていました。ニューヨークに引っ越す日が間近にせまった時に、「そんなに好きなら」と、呉服屋さんが大変お勉強してくれて、この着物を手に入れることができました。

城間栄喜さんは、戦後、紅型の材料や昔の裂地さえない中、紅型の裂地を持っている人がいれば、自分の食事の配給と換えてもらい、裂地をもとに配色を思い浮かべ、型紙にできそうな紙(メリケン粉の袋でさえも)集め図案を作り、製作の準備をしていきました。本当に何もないところからの紅型の再出発でした。
泰流社が出している「日本の染織10」の本に、城間栄喜さんが惜しげもなく紅型の作り方を書いています。
そして、他の章には、栄喜さんのもとで働いた人が、「技術的な面で栄喜さんがもし秘密主義をとる自分本位の人だったら今日の隆盛はありません」と語っています。
城間さんの語りが載っていました。
「琉球紅型は、城間家の独占物ではありません。多くの祖先の手でつくりあげられた沖縄人全体の伝統文化の一つです。秘密主義からは真の文化は育ちません。あの敗戦下に私が考えたこと、しなければならなかったことは、紅型の再現ではなくて、復興なんです。復活です。往時のように復活させるには、紅型の伝統技法が正しく長く継承されていく土壌をつくらなくてはなりません。それには、紅型作家は多ければ多いほどいいんです。なかには粗悪品をつくる人間もでてくるでしょうが、優秀な作家も生まれます。その人たちが、琉球紅型をよりよく発展させ、ひいては、また新たな沖縄文化の花をさかせてくれる、私は、そう信じたいのです。」

栄喜さんの計り知れないほどの情熱の中で復活した紅型に、今、私はこのような素晴らしい着物に出会えているのだと心から思います。

1/21/2009

ニューヨークで男の着物教室

ニューヨークで着物の着付け教室や出張着付けの仕事をしていますが、男の人にも着物を楽しんでもらいたくて「男のきもの着付け教室」を開いてみました。とは言っても直ぐには生徒さんが来るとは思っていませんでした。でも、開いて一ヶ月もたたないときに、とても素敵なアメリカ人の紳士がお稽古に毎週日曜日に通ってくださいました。
浴衣を着て兵児帯で蝶結びを教えると、彼はサラリと結わいてしまい、一緒に稽古を受けている私の夫はもたついてばかり・・・
長着を着て、角帯での貝の口、片ばさみ、浪人結び、神田結びと次々習得し、角帯で一文字を作って袴を着るのも、そして紋付羽織袴まで自分一人で着られるようになりました。
先日の日曜日が最後のお稽古、その時に彼から可愛い着物姿が作れる折り紙セットをいただきました。

箱を開けると折り紙が入っていて、とても懐かしいような感覚を得て胸がいっぱいになりました。実際には折り紙をして遊んだ記憶はありませんが、東京の谷中に「いせ辰」と言う千代紙のお店があって、近所に住んでいたので日常の中に千代紙は当たり前にあった風景の一つでした。まだニューヨークに引越しをしてきて1年たっていないのですが、折り紙を見たら東京下町の谷中の街並みを思い出してしまって・・・、それでとても懐かしい気持ちでいっぱいになったのですね。

彼にプレゼントのお礼にお茶を一服さしあげました。その時に出した御菓子は、京都の下鴨北山通にある京橘というお店の「二つ橘」という可愛いお干菓子です。
着付けのお稽古は一通りを終えましたが、これからも着方を復習に時々は顔をだしてくれると言ってくれました。
彼はアメリカで日本酒のコンサルタントをしています。
http://www.urbansake.com/

彼に「ブログに書いてもいいですか?」と、たずねたら、喜んでくれて「ブログをアップするのを楽しみにしています」と言ってくれました。英語バージョンのブログも作成しているので、このブログを早く訳してアップしようと思います。http://www.kimonohiro.com/blog-eng.html


1/19/2009

ニューヨークで茶道「初釜」

日本で茶道を習っていたのですが、ニューヨークにも茶道教室があるので通わせていただいています。
先日、私が通う茶道教室で初釜の茶会がありました。
桃色から藤色にかかったような色合いの色無地で伺いました。
なぜ、茶会と言えば色無地なのでしょう?
色無地について次のように書いてあるサイトがありました。
「江戸時代末期、庄屋で働いている女の子は、庄屋の主人のお供などであらたまった時には必ず紋付きの色無地を着ていました。大正時代には紋付きの色無地が礼装とされ、戦後になって教育制度の普及にともない、入学・卒業式に参加する母親が増え、次第に色無地の着用が目立ち始めました。」
江戸時代の末期のあらたまった時に必ず着る色無地は、今現在の就職活動する女子学生が黒か紺のスーツを着て面接に行く姿と重なりました。
でも、ここはニューヨーク、いろんな着物を着た方たちが「初釜」の茶会にいらっしゃっていました。黒留袖の五つ紋から紅型の小紋、多彩でした。
私は日本にいたときの感覚のまま色無地に染め抜き一ツ紋で行きましたが、初釜なのだから晴れやかな着物を次の機会には選びたいなって思いました。
初釜に着ていった色無地の着物は、私がはじめて一人で呉服屋さんに行って買った着物なので、染めの色を選び、紋を白く抜いてもらうことをお願いしたり、仕立てをしていただくのに寸法を測っていただいたりしました。この着物を見ると、その時の呉服屋さんで少し緊張していた自分の心が今でもフット現れます。呉服屋さんへの一歩を踏み出した時から茶会に出席する心の準備をしていたのかもしれないのですね。この着物を着ると「さあ、茶会に行こう」と心が引き締まります。とても凛とした好きな感覚です。

1/13/2009

冬の結城紬

結城紬は、冬が似合いますね。

繭を真綿に加工し指先で糸につむぎ出した紬織物、素朴な表情ながらも絹のきらびやかさを内に秘めています。
でも、正直、はじめ見たときは、「絹」のイメージからは遠いものでした。
「結城紬は万葉集にも出てくる」と聞いたことがあります。人間国宝シリーズ43という本の「結城紬」の年表には「紀元前656年」からはじまっていて、その長い歴史に驚きです。

茨城県に旅行で行った折に、結城紬の産地の結城市に寄り「奥順 つむぎの館」で染め織体験してきたことがありました。絞り染めが体験できるお部屋に入ると、染料の原料になるタンニンをいっぱい含んだ草木からの匂いは、少々強烈な「悪臭?」と言った感じがたちこめていました。そんな印象の「臭い」が布に何度も何度も浸してはギュウギュウ染みこませていくと「大雨の後に木からモワーと香ってくるような」そんな感じの匂いの印象が変わっていきました。矢車附子(やしゃぶし)という染料植物の一つで染めていきました。
私が染めたTシャツが黒灰色に染まっていくと染めの作業を指導してくれている先生が「良い矢車色になったね」と言ってくださいました。
矢車(やしゃ)という色は私がいくつか調べた本の中からは色の表現としては見当たりませんでしたが、「矢車色」って、かっこいい響きだなって思いました。
矢車附子にアルカリ水を加えると黄色味に紫がかった感じになったりするそうです。またアルカリ水を加えなければ艶っぽい黒と灰色の間の色合いになります。なんだか、化学の実験室みたいですね。昔は「アルカリ水」の代わりに石灰をいれていたそうです。確かに、石灰を水に入れるとアルカリ水になります。

「化学式が用意されていたわけでもないのに昔の人はよくこんなことが思いつくなぁ」と思いつつ、自然と風土を汲みながら文化が発達していって風土の一部分が着物という形に現れていったように思います。「伝統」は守るだけのものでもなく、その土地への適応力というか、常に発展性ある可能性を秘めている世界なのかもしれないなって思いました。それが紬という着物のように、人の生活の中に馴染んだり、美しく見えたりしていくものなのですね。
不思議なのですが、ニューヨークの冬は特に寒いので、後染めの着物より「紬に包まれたい」そんな衝動が起きます。「紡ぐ」という言葉だけでなんだか温かな印象です。

1/07/2009

伊勢型紙


伊勢型紙がニューヨークの家に送られてきました。
写真にある型紙の菊唐草文様は、伊勢白子町の型屋、山中孫三郎の墨書きがあります(明治20年ぐらいの作品)。京都室町の染め屋さんから出たものだそうです。
もう一つ細やかな絣文様(着物図案、こちらは作った人の名前は入っていません)光に当ててみると細かい文様がキラキラとしていて、星が雨のように降ってくるような感じがしました。

菊唐草は中形ですが、伊勢型紙と言えば、江戸小紋。
小紋というからには、大紋があったそうです。
武士の裃から発達し、江戸中期、武士たちの間で「細やかさ」でお洒落を競い合ったそうです。江戸町人も、この素晴らしい小紋型を武士だけのものにしてしまうほどお人よしでもなく、江戸に集まった職人に生活用具(手ぬぐいとか)染めるため彫らせたりして、着物の枠を超えて日常も小紋型に彩られていきました。
遊女や芸者が小紋型染の地味な着物に、下着は赤い蹴出しを少し見せるように着こなして色香をだしたりと、まさに江戸小紋は合わせるものによっての「生かすも生かさぬも」の世界、人のセンスを映し出す着物だと思います。
日本の美意識ってこういうところにあるのではないのかなって・・・。
中谷比佐子さんが「日本の染織」の本で江戸小紋について素敵なことを書いていました。
「自分を生かすということは、他も共に生かすことになり、すべてが生々とすることによって、よりくっきりと自分自身を映えるものです。」

この型紙の向こう側、
着物の袖を通した人たちが、合わせるものさえ目を行き届かせながらサラリと着こなし、日常を送っている姿がなんだか目に浮かんで、江戸小紋の面白さはやはりつきないなって思いました。

1/03/2009

海外から見た着物の世界










ニューヨークで着付け教室をしていますが、生徒さまの中にニューヨークに住むカナダ出身の人がお稽古にいらっしゃっています。その彼女は、とても舞妓と芸妓に興味があると言っていました。
日本に留学したことがあり、京都の祇園で舞妓を見かけて、その美しさに感動したことを話してくれました。
私は、東京出身なので、舞妓を半玉と呼んでいました。着物の着付けも髪の結いも少々の違いはあるそうです。その違いはさておき、向島で実際に見た半玉の美しさはやはり心に刻まれるものでした。
着付け教室のホームページには私に問い合わせするフォームがあるのですが、西海岸から内陸のシカゴ、そして東海岸まで、アメリカ現地の人からも仕事に関する問い合わせとは別に、純粋に「芸者に興味がある」と言う問い合わせが今まで数件寄せられています。
向島などで実際に半玉、芸者に触れる機会はありましたが、海外の人に「説明」をしてみようとするとなかなか言葉が出てこないものですね。そこで、このような本「A Geisha’s Journey」を購入いたしました。
そして、早速、私の着付け教室にお稽古に来ているカナダ出身の生徒さまに見せてみたら、大笑いされて「持っています」と言われてしまいました。
海外の人たちは日本の一つの文化として、このような美しい舞妓・半玉の世界を本を通し味わっているのですね。
そして、もう一つの本「KIMONO Fashioning Culture」は、純粋に「着物の文化」を紹介している本です。こちらは、花柳界のような華々しい世界だけに焦点をあてたのとは別で、十二単から日常着まで時代別に万遍なく「着物」についての内容が書かれていますが、実は、こちらの本も彼女は「持っています」とのことでした。
海外にいる着物に興味を持っている人たちの必読本なのかしら?と思いつつ、海外の人が解釈を求めている「着物」の世界が垣間見れたような感じです。

1/01/2009

大正アート

大正時代の着物、手描き染めの友禅です。
羽織った時に、溜め息が出るほどに美しいと思いました。
この着物を大正「アート」と表現する人がいました。
でも、アートとは言っても美術館に飾られるほど大げさなものではなくて、やはり着物は人が着てこその映えるものですね。肩の丸みから背中にかけて流れるような花々、グッと心にきます。

最近友禅は中国で、インクジェットでプリントされているという噂を聞きました。
確かに、とても小さなところまでクッキリとした美しさを感じることがあります。それはそれで美しいと思えば、それも良いのかもしれません。

ただ私は、やはり「手描きの友禅」には何か人の温かみを感じます。染で描いた花の輪郭に金糸の刺繍が施されていて、その細やかさは、巧みな表現と言うのを超えて、描いている人の感性の世界観さえ覗かせます。


江戸時代の元禄頃に宮崎友禅斉という絵師が大成した世界。
友禅染が現われ、それまでの文様表現は飛躍的に自由になり絵画的となりました。
本当に「絵画的」だと、この着物を見ていると思います。