2/28/2009

オペラ「蝶々夫人」の衣装演出


昨日、ニューヨークのメトロポリタンオペラハウスに「マダムバタフライ Madama Butterfly」を見に行ってきました。
演出が素晴らしかった。
オペラというより、まるでミュージカルを見ているようでした。
文楽を意識したような演出が特に斬新でした。
先日、正にオペラの中のこれぞオペラという感じの「ランメルモールのルチア」を見たばかりなので、あまりに違う演出に驚きでした。

衣装については、はじめは仰け反ってしまうほど、「これが着物?」と言う印象でした。
役柄に関係なく、日本人役の男の人たちの衣装は衣冠束帯。
女性は、十二単と着物との間のような「着物?」という感じでした。
髪型の鬘は、プラスチックのような物で日本髪の形状をだした鬘をのせているという感じでした。
はじめは、「あらら」と思って見ていましたが、見ているとだんだんと演出と衣装がなんともマッチしていくのです。この感覚は不思議でした。演出が時代背景のようなものを強く主張するものはなく、そのため、「着物」だけがプッチーニが描いた物語の時代背景を強調してもバランスが取れなくなってしまうのかもしれません。
舞台衣装は「着物」と言う概念の範囲に収めてしまうよりは、演出とのトータルコーディネートが必要なのですね。 コスモポリタンな斬新さを感じました。
「着物はこうあるべき」とか・・・着物のように文化が形として定着してしまっている物だと、既成概念をいくらでもならべられるから、否定から物を見てしまいがちです。

私は笹島寿美先生に時代衣装の着付けについて、オペラ「マダムバタフライ」の、時代背景と役柄にそった着物の着付け方をご指導いただいたことがあります。忠実に再現することは最も必要なことでもあります。
そして、その上で、舞台のトータルでの演出の方向性を見出しながら、更なる舞台衣装としてのコーディネートや着付けがされることによって、完成された世界観が作れる衣装演出を担えるのだろうと思いました。

2/25/2009

はなよめ、オーガンジーの打掛

時々ですが、百日草の「はなよめ」という雑誌を購読しています。
2008年11月号の「はなよめ」の雑誌には、歴代の千葉益子賞第一席の作品と花嫁40年の変遷がのっています。
プロの着付けをする人にとって「千葉益子先生」は、きっと皆様の憧れだと思います。
私もその一人です。
歴代の千葉益子賞の花嫁衣裳の特集に限らず、その時代時代に流行った着物もうつっていて、大正ロマン風テイストやハイヒールを合わせたスタイルが1987年5月号に「ニューきもの特集」に出てきていることが分かります。
ここ2.3年ほど前から目立ってきた、着物にブーツを合わせるのが新しく思えましたが、実は、こうした和洋を合わせた着こなしは、昔から試みられていたことなのだと思いました。

最近、ブライダル関係の着物レンタルの件で、オーガンジーの打掛の問い合わせがありました。
その打掛の存在は知っていましたが、海外にいると「純和風」というか古典的な「和」を求められる声のほうが、どちらかと言うと多いので、オーガンジーの打掛の問い合わせがきたのには正直驚きでした。
そして、改めてオーガンジーについて考えてみると、重厚感ある打掛に比べると、とても軽やかな点から、着慣れない着物での結婚式では、大変好まれるものかと思いました。

オーガンジーというのは、ファッション用語辞典では、綿で平織りされ、薄手で透き通った生地のことを言うそうです。特徴として、光沢感があることです。シルクでつくったのが、シルクオーガンジー。

昔々は、結婚式と言うと自宅婚だったそうです。嫁ぐ花婿の家にお嫁様が移動して、花婿の家で結婚式をしたそうです。花嫁は早朝から身を清め支度をして、神仏にお参りして先祖に報告してから、むかえに来た仲人とともに花婿の家にむかわれたそうです。神前式になったのは明治以降だそうです。
(参考文献 「日本のしきたりと礼装」 著書 石川満子 百日草)
これだけの行程を全て担う上で、あのような重厚な「打掛け」が存在していたのだと思うと、とても納得するものがありました。
今では、結婚式はパーティー会場で行なうことも多くなり、和洋組み合わせがほとんどで、花嫁衣裳も、一着で完結することより、多様な変化を望まれていることに傾いています。 そして、会場内では空調も整っているので、挙式をあげるところの季節感をデザインの中や素材のニュアンスに少し含まれていれば打掛も幅広い表現が可能となります。
それを思うとオーガンジーの打掛けは、とても素敵な位置づけでの花嫁衣裳だと思いました。実際に見ると「絽」の着物を思い出すような涼しげというか軽やかさです。でも、中に美しい振袖を着ているので、このように透ける素材の打掛は、相乗効果での「美」をつくることと思います。まるで、羽衣のようで、天女のようです。


写真は、シルクオーガンジー
「百日草のはなよめ 2002年8月号」より

2/17/2009

願いは声に出そう

ロサンゼルスに訪れる機会があって、先週滞在していました。
滞在中に、素晴らしい人たちに会う機会に恵まれました。
「LA着物クラブ」の前会長の高瀬隼彦様と、会長の鶴亀彰様、会計の小林政子様です。
LA着物クラブは、鶴亀様のお声かけによって高瀬様を中心に10年前の1999年に数人の仲間からスタートしたそうです。2000年1月1日午後1時に着物姿でロサンゼルスにあるリトル東京のノグチイサム広場に集まり、新年の挨拶をし合い、記念写真を撮るという極シンプルな会からはじまりました。
アメリカ人を含む会員も増え、3年後に第1回新年総会を開催したそうです。

ロサンゼルス滞在中に、LA着物クラブの人にお目にかかれればと思いご連絡差し上げたところ、急なコンタクトにもかかわらず、とても優しく心広く、お目にかかれる機会をいただきました。私がロスからニューヨークに帰る予定の15日に総会の開催日で、「滞在する日を延ばせるのなら総会に出席しますか」とまで、お声をかけてくださいました。ニューヨークで仕事が入っていたので、15日の早朝にはLAを発たないといけなかったので、残念でしたが総会には出席できませんでした。

お会いしたのは、リトル東京にある京都グランドホテルで、LA着物クラブの前会長の高瀬様が設計をしたホテルでした。
ホテルに私が着いたときには、高瀬様と、白と緑を基調とした素晴らしい着物と帯をしている小林様がラウンジに座っていました。小林様の着物姿を見ていて、今頃の日本の暦では立春が過ぎ春を告げる鶯の初音が聞こえてくる季節、(「はる」は万物が「発(はつ)」)、そんな草木の芽が出るのを彷彿させるようなあまりに美しいお姿でした。お写真をとらせていただきました。

ホテルの1階ロビーの喫茶店で、沢山お話をしました。

私の拙い夢というか現実になったらいいなって思っている話を、お恥ずかしいですが話させていただきました。とても熱心に聞いてくださいました。

私の願いは、「全米での着物や着付けのネットワークを立ち上げられたらいいな」と思っています。
そのようなことを思ったきっかけは、最近、私のところにアメリカの西海岸から内陸シカゴ、そして東海岸から現地のアメリカ人の方からの問い合わせが増えたことです。
問い合わせ内容に出来る限り応じようとはしても、私自身がアメリカでの生活は1年もたっていなくて、充分な対応が出来ない時が多々あります。
先日はシカゴからの問い合わせがあって、着物の着付けが出来る人を探しているとのことでした。なので、シカゴに住む日本人の間で交わされるネット上の生活情報掲示板を見て、「着付け教室」をしているところが2件あったので電話をしました。2軒ともとても親切な方たちで、日本語が話せない人の着付けも応じていただけるとのことでした。私のところに問い合わせをしてきたシカゴに住んでいるアメリカ人の方に、着付け教室の先生が着付けに応じてくださることや、その連絡先を直ぐにご返答いたしました。
そんなお問い合わせに応じている時に、日本人以外でも大変に「着物という世界」に興味を持っている人が多いことに改めて気がつきました。
そこで、もし着物を通して、エリアを越え、着付けが出来る、または着物に興味がある、そんな皆様と連携していけたらどんなに素晴らしい世界が全米で広がっていくのだろうかって思うようになっていました。

でも、私はまだまだ力不足で、アメリカでの生活も儘ならないのに・・・、いろんなエリアの人と連携をするような展開を試みるのは、夢みたいな話だなって思っていたところ、LAに訪れる機会にLA着物クラブの存在を知りました。純粋に着物を楽しまれているのが伝わり、それは何よりも強く人の心のつながりが伝わるものでした。

「全米着物ネットワークを立ち上げたいけど、私がニューヨークの片隅で一人言っていても、ダメだと思って」と話したら、
鶴亀様が、私に素晴らしい話をしてくださいました。
「初めに声を出すのは一人なんだ。でも、皆も違うところにいても同じことに気がついたり感じたりしているもので、一人が声に出すと、集結できるし、一気に皆立ち上がるもの」
白人に席をゆずることを否定したローザ・パークスの小さな行動がアメリカ社会の変革につながった話もしてくださいました。
初めは一人、でも、声に出すと出さないとでは大きな違いなのだろうなって・・・とても夢のある話だと思いました。

高瀬様が、「そしてネットワークが広がってUSA全体総会をして、着物を着た1000人ぐらいで集まったりして!」と笑顔で話してくださいました。

願いを声に出して、
夢が現実になる一歩は先ずそこからなのだろうなって・・・
着物を通したつながりで、人とのつながりの素晴らしさに心から感動した日でした。

*写真は、LA着物クラブの皆様とご一緒に、京都グランドホテル内にて


LA着物クラブhttp://www.lakimonoclub.com/jMain.htm

2/11/2009

茶道での男の着物

昨日の2月10日(火)に、ニューヨークにあるジャパンソサイティーというところで、武者小路千家の千宗屋若宗匠の「Modern Teaism」講演会がありました。
私の着付け教室に通ってくださっている生徒様から誘っていただき、ご一緒に見に行ってきました。
午前中に茶道の稽古をしたあとだったので、いろんな点で気付きや、また新しい今の生活においての茶の位置づけと利休に戻れる心など、その伝統と創造性に素晴らしさを感じました。

生徒様から、若宗匠が着ている羽織(十徳)について質問がありました。とても涼しげで「絽」の羽織に見えたそうです。
私は、「十徳」と言う言葉が出てこなくて、「お坊さんが着ているようなもので、茶道での決まりのようなもの」と簡単に答えてしまいましたが、私自身が茶道の装いを「あー言うものなのだなー」と思うだけで、普段、説明が出来るほどには考えたことがないことに気がつきました。
帰ってきて、具体的に説明が出来るように「茶道での男性の装い」について調べました。
奥が深いというか、女性が茶会で着物を着る時より、男性の着物はとてもシンプルなだけに間違いが目立ってしまうので、知っておかないといけないことだらけでした。

生徒様からのご質問にあった若宗匠の着ていた羽織(十徳)についてですが、
「十徳は、鎌倉時代頃より様々な変遷をたどり、現代では僧侶や茶道の宗匠などが用いる姿しか見かけません。独特の形状をした広袖の羽織で、前を止める紐も直に縫い付けてあります。」とのことです。稽古をしなければならない身分の間は羽織が着られないそうです。
十徳を家元が着ている姿を見たことがありますが、確かに日本での茶会では、男性が十徳を着ている姿をほとんど見かけたことがありません。

では、男性の茶会の着物と言えば、「色無地」後染めの着物に染め抜きの紋を入れて、袴は「仙台平」の縦柄の袴が正式な茶会の装いです。でも、カジュアルな茶席では、先染めの「お召し」の着物で充分です。
ただ単に「茶会」と言っても、茶会の格式により装いの違いがあります。格式には「真行草」に分類されるそうです。この格式の分類については、こちらのwebページがとても参考になります。(女性の装いですが)
きもの倶楽部 きもの豆知識 着物のTPO

茶道は総合芸術だとおっしゃる人もいます。着物一つとってもいろいろとあるのだなって思います。面倒に思える人もいるかもしれませんが、それもまた「楽しさ」にしてしまえば広がりある世界に見えると思います。
でも、そのスタイルにだけに固執することなく、若宗匠が講演会でも「茶の世界が今の生活から離れすぎてもいけない」と言うお言葉がありまして、「着物を着なくてはいけない、正座をしなくてはいけない」というスタイルにこだわりすぎて真の茶道の楽しさから離れてしまうのも確かに違うように思います。
私が茶道をはじめて間もない時に「茶会」と言う場での着物の装いがイメージがつかなく、ほとんどの人が着物を着て来るような茶会でも、はじめは洋服でうかがったことが何度かありました。それでも皆様が優しく対応してくださって、「もてなしの心」、逆に洋服で伺って茶道の本質的な姿に触れられたような気がしたことがありました。
それからは、茶道がとても楽しくなり、週に一度の稽古ですが季語などを考えていくので、普段意識しないでいた季節を感じるようになりました。生活の中で季節を意識して感じていると、自然と「新緑がまぶしいから、絽の着物をもうそろそろ出そうかな。若葉色の着物を着よう」とか、気がついたら着物も楽しめるようになっていました。
きっと、何が良くて何がダメってなくて、今の生活の中で茶道の世界観を感じられる距離感を自然とつかめれば楽しみ方は無限大なのかもしれないと思いました。宇宙の存在を感じられるほどの利休の世界観を、いつか少しでも感じられるだけになれたらいいなって思います。

男性の着物の装いで、参考になる本
銀座もとじの男のきもの」 監修 泉二弘明 世界文化社
男のきもの着こなし入門」 指導 笹島寿美 世界文化社
男のきもの 雑学ノート」 著者 塙ちと  ダイヤモンド社

2/07/2009

針供養

明日、2月8日は針供養の日です。
私が通っていた駒込和装学院もこの日はお休みです。
和裁の教室の先生と教室に通っている皆様とご一緒に、昨年は、東京浅草にある浅草寺の淡島堂に、針納めとお参りに行ってきました。「もう一年もたってしまうのだな」ってカレンダーを見て思いました。

針供養は、昔は、家庭での針仕事はもとより、針を扱う業種の人も針を休め、針箱の掃除をしたそうです。この針供養の日には、一般には淡島神社に参拝し、針への感謝と裁縫上達の祈りをこめて、やわらかい豆腐やコンニャクに古針・折れた針を刺して供養することが行われます。
針供養の日にちは地方によっても違うそうで、また、針供養の説も様々です。
私が好きな説は、針供養の発展になった江戸時代の淡島願人(あわしまがんにん)の唱導(「波利塞女の説話」)から、「何よりも女性の病を癒し、女性の持つ苦しみを救済してくれる」ということでありました。
とても女性に優しいお参りなのだと思いました。

和裁の教室では、1月の後半から折れた針などを皆様持ってきて、和裁の先生が缶に入れて針供養の日まで預かってくださいます。
皆様、曲がっている針を大切にとっておいていました。
私は針供養と言うのがあるのは知っていましたが、実際にお参りに行くまでは、特に針に感謝するという気持ちを具体的には持っていませんでした。でも、何か「針」を捨てるということは考えたことがなくて、使えなくなってもとっておいていました。日本の美徳と言うのでしょうか「物を大切にする心」と「感謝する心」“もったいない”という感性、自然と身についているのかもしれないのですね。

針供養をしたあとに、教室の皆様で食事会をしました。
お食事を終えてレストランを出る前にお化粧直しをしようとかばんを開けたら化粧ポーチがなくなっていました。
浅草寺にむかった時のタクシーの中で落としてしまったようで、たまたまその日はレシートがあったので電話をかけたら、タクシーの運転手さんが座席に落ちていた化粧ポーチに気がついてとっておいてくださいました。そして浅草まで届けてくださいました。
女性に優しい日が訪れてくれたような出来事だなって思いました。

*写真は昨年の針供養
和裁の教室の先生と皆様とご一緒に浅草寺の前で