3/29/2009

平安時代の「あお」

色を表現する時は、経験からきている感覚的なものが含まれていることって多いような気がしました。
今日のマンハッタンは霧でいっぱいで、いつも見えるエンパイアステートビルが全く見えませんでした。
まるで白黒映画を見ているような風景。

霧でくすんだ街の「白」のイメージとは異なり、
「白」を「真っ白」と表現すると、(時と場合にもよりますが)とっても明るい陽がサンサンと降り注ぐ眩しさを思い浮かべてしまいます。

先日、源氏物語の世界の背景(平安時代の宮廷世界について)書いてあるものを読んでいたら、平安時代の人々の色彩感覚について書いてありました。
平安時代の人々が概念として持っている色の種類はかなり少なく、その中でも特徴的なのが「アオ」は赤と黒の中間にある幅広い色を指し、黄・緑・茶・灰などの色がすべて「アオ」と表現される可能性があったそうです。白と灰色が混ざった色の状態も「アオ」と呼ばれていたので、現代でも川沼などで見かける鳥、アオサギ(青鷺)を「アオ」と表現するのも、平安時代の色の感覚からの表現が定着したそうです。

たしかに、アオサギ(青鷺)の鳥を青色には見えたことはないので、名前を知らなかったら「大きな白っぽい鳥」と表現していたかもしれません。

白馬を「アオウマ」と読むことがあります。
(今でも行なわれている、上賀茂神社「白馬奏覧神事」、白馬「あおうま」の節会「せちえ」)
中国の陰陽五行説では、「春に陽のものを見るとその年の邪気を避けることが出来る」とされて、春は「青色」、陽の動物は「馬」とされ、両者が結びついて春に青馬を見る行事が年明けに宮廷で行なわれるようになりました。
平安時代には、「白」が最上位の色として置かれるようになって、青馬を白馬の字にあて換えられましたが、読み方は変わることがなかったので、その行事については白馬を「あおうま」と読んでいます。
3年ぐらい前でしょうか?お正月に京都の上賀茂神社に初詣に行ったときに、白馬がいたのがとても印象的でした。
こういう意味があったのだなって、本を読みながら思いました。

「白」と言う色が、清らかな透明感のある印象を受ける時があるのは、肉眼的に見る色の印象だけではなく、風土や経験から得た感覚が、色彩の感覚としてあるのかな?と思いました。

色の概念が少ないという平安時代に登場する衣装「十二単」、まるで独立した十二色が重なりあうイメージがあるかもしれませんが、同じ色とした大枠の「色」の概念のなかで、襲(かさね)の色目、単色の組み合わせによる(グラデーションのような)「配色美」を競ったものだと思います。

ブログを書いていたら、雷がなって、そのあとに雨があがり、霧がやや晴れてきました。
夜空に星が見えたので、やはり霧の晴れたマンハッタンが美しいと思いました。

3/26/2009

100年の時を越えて今に伝わるもの

ニューヨークにあるMoMA近代美術館で「Into the Sunset: Photography's Image of the American West」のプレビューがありました。着物を着て伺いました。
着物でMoMAのプレビューに伺うのは、今回で3回目です。
いつも会場内では、お洒落な人が多いですが、着物を着ているのは私一人だけでした。
少々勇気がいりますが、着物を着てMoMAのプレビューに行くと、気持ち良い緊張感と初心に戻ります。
昨年の6月に夫の仕事の都合で日本からニューヨークに引越しをしてきました。
そして私は着付け教室を開きましたが、はじめはどのようにこの土地の人たちに「kimono」を受け入れていただけるのか全く分からなかったので、何か機会があるたびに、またMoMAのプレビューの招待状が届くたびに着物を着て伺うようになりました。
そして、会場内でいろんな人に声をかけられました。
「so beautiful!」特に女性が声をかけてくれます。

昨年のMiroのプレビューの時は、ペルーから来ているという記者をしているご夫婦が「写真をとってもいいですか?」と声をかけてくれて、一緒に写真をとったあとに、いろいろお話をしました。 (その時の写真です。結城紬の着物に、塩瀬の帯で姉様模様です。)
着物の関心度が高いことをいつも実感しています。そして着物を通して、声をかけてくれた人たちとお話がいろいろできて楽しい時間を過ごしています。

プレビューのあとに、美術館の目の前のイタリアンで食事をしました。
昨年9月のゴッホのプレビューのあとにもこちらのイタリアンで食事をしました。その時、私は紅型の着物を着ていました。
店員さんが、「あなたのことを覚えているわ」と言ってくれて、ゴッホのプレビューのあとにレストランに寄った時のことを覚えていてくれました。そして、その店員さんが着物についていろいろ尋ねてきました。今回着ていた着物は大正時代の着物だったので「約100年前の着物」と言ったら大変驚いていました。 (写真が100年前の小紋の着物で、この着物を今回は着て行きました)

今回のプレビューは
「Into the Sunset: Photography's Image of the American West(夕焼けの中へ:アメリカ西部の写真家のイメージ)」
その中にも、100年以上昔の写真がありました。
着物も写真も、表現の媒体は違っても、「美」そして「芸術」は時を越えて伝わるものなのですね。
http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/97

プレビューのあとに入ったイタリアン「Il Gattopardo」は、南イタリアやシチリア料理を得意とするレストランです。
レストラン名の「Il Gattopardo」はヴィスコンティの映画で有名な「山猫」にちなんでつけられたそうです。映画自体はシチリアの没落貴族を描いた、華美で有名なものです。
http://www.ilgattopardonyc.com/

3/24/2009

銘仙

銘仙って、魅力的ですね。先染めでありながら、これだけの色鮮やかさを表現しています。

銘仙は、もともと、養蚕農家が自家用に造ったものでした。良質の生糸を採った後の屑繭から造られる固い糸(熨斗糸)で造った太い糸を、緯(よこ)糸に使った織物です。
倹約令(1839年)が出された江戸時代には質素な着物を着ることを余儀なくされ、質素な素材として江戸で流行しましたが、明治時代に入ると経(たて)糸などの技法も組まれ縞柄が織られ、大正時代には細玉糸が用いられた絣銘仙が創られました。
そして西洋を意識した派手な柄や色に発展をしていき、色鮮やかな洋花など「大正ロマン」の代表格のように銘仙は語られるようになります。
写真のように、銘仙は、先染めの素材の絣の風合いと、大胆な色彩・柄が特徴です。

先日、撮影の仕事で、着物を使いたいとのことで、アメリカ人の方と仕事をご一緒しましたが、銘仙は気に入っていただけませんでした。
後染めの友禅などが、とても好まれていました。
最近日本では、先染めの銘仙や紬が流行っていると聞いたことがあります。
銘仙・紬など、お洒落な普段着として着て行く場所も多く選べます。着物が日常のファッションになりつつあるのでしょうね。

3/14/2009

歌舞伎衣裳と伝統「技」

こちらのブログの坂東玉三郎の衣裳についての記事・・・
とにかく、写真を見てください!
あまりの素晴らしさにため息です。
http://taizou.jp/blog/2008/02/2-4.php
この衣裳を着た坂東玉三郎を見たいと心から思いました。

「歌舞伎衣裳あれこれ」という題で、著者の切畑健がこのように歌舞伎衣裳のことを書いています。
伝統的な芸能に接して、初心の者がまず魅了されるのは、それぞれがそなえているきわめて特色のある諸要素のなかでも、衣裳・扮装によるとしても過言ではあるまい。
天明四年(1784年)大坂藤川座(角芝居)で「恋渡縁石橋」では、市川団蔵の踊りの絵番付にわざわざその衣裳が記されたという。
 「花色繻子(打掛か)に金紗(繍か)にて矢車の文様。獅子頭を持ち種々所作」など
「花色繻子」は、はなだ色の繻子のことで、はなだ色は淡藍色です。繻子は、織物。滑らかで光沢がある、サテンのことです。
「金紗」は、紗の地合に金糸を織り込んで文様を表したものです(京都西陣の産)。
ここでの地合は布地のことですが、地合と言う言葉は、取引市場の人気など、相場の状態のことも言います。布地と言う表現ではなく、地合いという表現だけで、生き生きした印象を受けます。
この一文を読むと、「きっとこんな感じの衣裳だったのかな?」と、不思議に舞台上での衣裳の情景がうかびますね。
当時の衣裳を表す言葉が今に伝わる(残る)、そして今でも生き生きしているのが目に浮かぶのは、歌舞伎やその衣裳の魅力が当時の人々の活力だったのかもしれないですね。

「本物は、時を越えても、理屈でなく感動を与えてくれるものだ」と言う言葉を、ある問屋の主人から頂いたことがあります。
こうした素晴らしい衣裳を見ると時を越えて「残していきたいもの」だと心から思いました。
「残していきたい」と簡単に書いてしまいましたが、この坂東玉三郎の衣裳の一着一着が出来るまでの背景にはとても困難な道のりがあって、それを作る職人の「技」を守ることの大切さを銀座泰三のブログから読み取ることができます。そして、「坂東玉三郎」という存在、「一から作る」というこだわる心があって、日本の伝統芸と伝統技が合い、光り輝く結晶のように出来上がる衣裳が現在でも作ることが可能になったのだと思いました。いや、可能になったのは、本当に奇跡のようなことで、本物の追求をやむことなくしていた銀座泰三と坂東玉三郎の出会いに寄って出来た世界なのかもしれません。

本物は、時を越えて感動を与えるもの・・・
「昔は日本には良いものがいっぱいあったね」と終わってしまうより、今の物づくりの中で、私たちが後世に「残していきたい」本物に出会い、そして、そう思う心を持つことが大切なのではないのかな。
そして、「残していかないといけないもの」が見えてくると、自然と職人の「技」の大切さを知ることが出来ると思います。
そのためにも、たくさんの「本物」に一人でも多くの人が出会って欲しいです。
そのような着物に出会えれば、それは過去の産物ではなく、未来形の「美」の追求が続くことと思います。

何度も坂東玉三郎の衣裳の写真を見てしまいました。実物を見たいです。
でも、この衣裳を着た玉三郎を見たら感動で卒倒しそうです。

3/08/2009

三味線の音色

ニューヨークで、3月7日、8日を通し「music from JAPAN」というコンサートがありました。常磐津文字兵衛(Tokiwazu Mojibei)さんの三味線の演奏を中心とした、古典的なものから、現代的な音楽まで、ミュージック表現がいろいろと繰り広げられました。

私は、日本舞踊を西川流の市谷台町にあるお稽古場に通っていたのですが、着替え所で着物に着替えていると、三味線の音色が聞こえてきたことがあって、久しぶりに聞く三味線の音色に、その薄明かりな着替えどころのことを思い出したりしてしまいました。とても懐かしさを感じる音色でした。
そして、やはり本物って凄いなって圧倒されました。

こうしたコンサートに出会うと、本物を見失わないでいようと思う心を自分が持ち続けることが大切だと痛感いたします。
でも、本物を見失わないでいようと思う心ってどういうものかな?と思いました。
先日、最近愛読しているブログで着物のお店「awai」のオーナーきのぴーさんのブログに、「桜が顔をだしたようです」と写真が載っていて、その日常にある小さな変化に「心を持つ」ことが出来る視点や世界観・・・、フット、私はそうした心を持つことを忘れてはいないかと思いました。

着物の素晴らしさを伝えようと思う気持ちが先にたちすぎても、それは形になった現物に偏りすぎてしまうことがあるのかもしれなくて・・・やはり、自然と日常にある風景や季節の変化、そして音色に「心を持つ」こと・・・、そうした心を持っていないと、着物は伝えられないのではないのかと自問しました。
海外で生活していても、日常を大切に見ていれば、見えていれば、その心は持ち続けられるものだと信じたいです。
今日はコンサートのあとに、アッパーウェストを歩きました。いつもと違った風景。
日常の風景で感じたことのシャッターを押しつつ、Mojibeiさんの三味線の音色の余韻に、着物の「美」を見失わないような目を持ち続けたいと思いました。