9/27/2009

彼から彼女のために結ぶ帯結び


オハイオ州に住むアメリカ人の方が、ニューヨークに来る用事があるとのことで、ニューヨーク滞在中、着付け教室のお稽古を受けたいと問い合わせがありました。
その方は、2年間日本に住んだことがあり、着物を着たことの経験はあるとのことでした。着付けのハウツー本も買って自分一人で着物を着ることにトライをしてみたこともあったそうですが、なかなか思うに(本のようには)着られなかったそうです。

メールでの問い合わせ内容には、自分が着物を着られるようになれるレッスンを受けたいことと、もう一つ、ふくら雀も結べるようになれるレッスンを希望してきました。
ふくら雀は、一人で着られるようになることは非常に難しく、人への結び方を習得するのなら可能かもしれないことを言ったら、なんと、自分のboyfriendに「ふくら雀の帯結びを教えて欲しい」との希望でした。

レッスンの当日、本当にオハイオ州から来てくれました!
先ずは、1時間30分、彼女自身が自分で着物を着られるようになるようにレッスンをしました。何度か自分でも着物を着られるようにトライをしてきたことがあるのか、ポイントを教えれば、覚える飲み込みが早かったです。ただ、帯び結び、特に名古屋帯で一重太鼓を自分で結べるようになるには、悪戦苦闘していました。
そして、少し休憩をとったあと、2時間弱ほど、彼女のboyfriendに、ふくら雀の結び方を教えました。彼女が振袖に着替えて練習台になってくださいました。

男の人が帯を結ぶってとても格好いいですね。まるで男衆(舞妓さんなどの着付けをする男の人)みたいでした。男の人は力があるのか、私の場合、腕力だけでなく胸など自身のボディーを使って帯山の形が崩れないように帯枕を押さえて、帯枕の紐を結んだりしますが、その彼は腕力だけで帯山に当たる形作りを綺麗に作れてしまいます。
なんだか少し悔しいですが、男性の腕力は帯結びにはとても適しているのだなって、間近で見ていて思いました。たしかに江戸時代、歌舞伎役者の女形・瀬川路考が舞台で文庫を結んでしまったら解けてしまい急いで手先で結びを締めたら、今で言うお太鼓の形になった(路考結び)、そのような歌舞伎の所作から発展した帯結びと言う側面も兼ね備えていることを考えると、女形が長く重たい帯を、紐を結ぶかのごとくに立ち回りをする姿は舞台映えしたことと思います。帯が、そこから来ている長さと重厚感であるとすれば、男性が結ぶ姿は様になるのも頷けます。

写真は、彼が、彼女ために結んであげたふくら雀です。また、緋扇(相生)も教えてあげようと思って、私が作ってみたら(前回のブログ「婚の装いに想いを込めて」の相生の写真はこのときに作ったものでした)「バランスをとるのが難しそう、ふくら雀だけで今回は大丈夫です」とのことでした。立て矢系は、とても難しく見えたそうです。
レッスンのあとのお片付けをしているとき、彼は腕や手の指先を動かしていて、帯結びの所作(技術でなく所作という感じに見えました)を復習していました。

昨日、二人からお礼のメールが届いていました。オハイオ州の家に戻って復習をして、着物を着られるようになってきたことと、また更に帯結びを習得したいとのこと。
男の人が彼女のために帯結びを覚える、素敵ですね。

9/21/2009

婚の装いに想いを込めて


先週の土曜日にコネチカットに出張して、結婚式の着物の着付けをしました。 コネチカットのミドルタウンは私の住むニューヨークからAmtrak(国鉄)に乗って3時間ほどのところにあります。
本当に、素敵なお二人と、結婚式でした。
着物は振袖でしたので、帯結びは、立て矢系の「相生」にしようと思いました。
帯結びの「相生」は、能の「高砂」の謡から表現してつくれられたもので、花嫁の結びとして婚礼の場で広くつかわれています。相生とは、黒松と赤松が一つの根から生え出た松のことをいいます。長寿を表す「松」と、夫婦和合が続くことをめでたく謡っているのが「高砂」です。

花嫁様のご希望を聞いて、「相生」を元に、更に変わり結びを作りました。
こちらの写真は、考え中の帯結びです。少々「相生」には見えないながらも、更に発展性として、新郎新婦の新たな門出に、幸せ広がるように作りました。

結婚式と着物と言えば、「神前式」というのがすぐ浮かびます。
でも、現代のような神前式は、1900年(明治33年)に、後の大正天皇が皇居の賢所において婚儀されたのを記念して、東京大神宮が一般用に式場を設置したのが始まりとされていて、当時、ほとんどの人は自宅婚で身分にかかわりなく花婿の家で行われるのが普通でした。神前結婚式に本格的に移行したのは、戦後の高度成長期1950年代からだそうです。
自宅婚の当日、花嫁は早朝から風呂に入って身を清めてから支度をしました。そして、神仏にお参りをして先祖に報告をします。その後、家内一同と親族が祝い膳を囲み、門出のお祝いをして仲人と、花婿の家からの迎えの人と一緒に花婿の家に向かいます。

百日草のwebサイトに載っている、千葉益子先生のお言葉に
「青々とした麦畑の間を、つのかくしの中に顔をうずめる様にして手をひかれてゆく花嫁を、あこがれと驚きで見惚れていた私。その幼かった心に一粒の麦は落ちたのです。」
千葉先生が幼い頃に家から見ていた様子が文面から伝わりますが、初めはこの文を読んだときに、「花嫁さんがどうして外を歩いているのかな?」と不思議に思いました。
「婚」の装いを勉強すると、上に書いたとおり、実は少し前の昔まで、自宅婚がほとんどだったことが分かりました。千葉先生は明治生まれなので、千葉先生の幼い頃は、自宅婚の結婚式がほとんどだったのでしょう。花婿の家から迎えに来た人の手にひかれてゆく花嫁さんの姿を、千葉先生は見ていたのですね。きっと、美しい情景だったと思います。

その美しい花嫁を引き立たせる花嫁衣裳ですが、
元々打掛けは、武家社会においての女性の正装でした。
そのためか、花嫁衣裳の「白無垢打掛」には武家へ嫁ぐ覚悟を示す物が多くあります。いざという時の覚悟を秘めた「懐剣」や「抱帯」などの花嫁衣裳の小物は、その象徴のように思います。なんだか格好いいと思いましたが、それだけではなく、女性の身だしなみである「筥迫」を胸元に入れておく、そこがとても素敵だと思います。

婚の装いは、沢山面白い発見があります。

コネチカットから結婚式の着物の着付けのご依頼があって、帯結びを考えていたときに、「婚」の装いについて再度本を読み直しました。結婚式で着付けをするって、とてもとても素敵なことだと思いました。
二人の祝福を心から願って。

参考文献 「日本のしきたりと礼装」著者:石川満子 出版:百日草

9/12/2009

簪 かんざし


こちらは、京都の金竹堂の簪(かんざし)です。
ニューヨークに届いた本物の舞妓さん用の簪です。
箱を開けたときにあまりの美しさに感動しました。その瞬間を写真におさめました。
「つまみ簪」と言って、布を小さくカットしたものが幾重にも重なり花を表現します。こちらの布は、絹の羽二重で出来ています。羽二重と言えば、着物の裏地としては最高級です。多くは花をモチーフにしているので、花簪とも言うそうです。

舞妓さんが付ける花簪は月ごとに決まっています。舞妓さんになって一年未満は花の一つ一つが小さく、簪の下に垂れ下がる「ぶら」が付いていますが、二年目以降はぶらが取れて、年長になる程花が大振りのものになっていくそうです。
こちらの簪は、小菊で、花の一つ一つが小さいので、舞妓さんになって一年未満の方が10月につける簪なのだなってことが分かります。

舞妓さんの着姿の完成された姿には、簪一つとっても、季節や、芸を磨いた年数などがそっと意味をもって、美しく表現されているのだなって思いました。

着付け教室の生徒さんたちにも見せました。アメリカ人の生徒さんは、その美しさに「ウワー」と歓声をあげていました。

アメリカ人の着物好きの人たちの間で人気のある、講談社インターナショナルから出版されている「A Geisha’s Journey」と言う本があります。この本の主役の芸妓の小桃さんは、はじめ舞妓を6年ほどやったら、やめるつもりだったそうです。そして、舞妓での自分の経験を通し、日本文化を海外に伝えられたらと思ったのだそうです。でも、日本文化を伝えるには芸妓になってからでも伝えることが出来るのではないのかと思うようになり、一本の道を究めることで伝えていくことにしたそうです。

一本の道を究めようとした人と、一本の道を究めてきた職人さんたちが織りなす世界は、強く美しさを感じます。
そして、一つの道を究めることは、大変な努力がいることを最近痛感いたします。

そんな織りなす世界を、着物を通して、伝えて行けたらと思いましたが、私の着付け教室に通ってくださっているアメリカ人の生徒さんたちに、まだまだ英語力がなく、一つのことを伝えるにも悪戦苦闘です。一年もアメリカに住んでいれば、自然と英語が身につくと思っていましたが、それはとんでもない話です。勉強しないと身につかないものなのですね。仕事の合間に時間を作って本格的に英語の勉強をはじめました。通っている学校のクラスメートには、日本人は誰もいなくて、ロシア人の方とご一緒しています。ロシアから来ている人は、英語の勉強のためにニューヨークに来ているのでとても真剣です。
自分の伝えたいことが伝えることが出来ない以前に、自己紹介さえ十分に表現ができず通じない場面に多々出会います・・・こうした学校に通うことで、とても最近、「初心」を意識させられます。そして、初心がとても大切なことにも気がつきます。

英語の習得一つにしても、何事においても「真剣」である世界は、素敵だと思いました。

簪を見ながら、
私も、今の仕事を通し、アメリカで一つでも「伝える、伝わる」ことが出来るようになりたいです。