12/30/2010

再生

先日12月26日の日曜日、観測史上6番目に多い雪がニューヨークの街に降り積もりました。26日に少しだけ外に出たのですが、日本の「細雪」と言う情緒のあるイメージにはかけ離れたドサドサとした降り方で視界がさえぎられるほどでした。
27日の月曜日には、マンハッタンの街が真っ白の雪に覆われていました。道に止められた車が雪に埋もれていて、自然の驚異に驚きました。
雪に覆われたバスが道路に放置され、交通が全面ストップ、道路の雪かきの車さえもはばかれるほどでした。

翌日、交通が止まっている閑散とした街の頭上には、雲一つなく太陽が燦々と降りそそぐ朝をむかえました。真っ白の雪に反射し空気がキラキラと輝き街中が眩しいほどでした。

自然の脅威、あっという間に街の機能をストップさせてしまうことに驚きながら、なぜか、前にブログ「伝統を守る難しさ」で書いた、「浴衣専門の藍染屋さんで、籠染の技法を継承する唯一の工場が創業100年をむかえた時に生産をやめた」ことを、思い出しました。
失う時は一瞬なのかもしれないと切ない気持ちになりかけた時に、道路に車が走っているのが窓から見えました。少ないですが、車が走っているのを見て、なぜかとても感動し胸が熱くなりました。
街の再生の力強さ、人の英知の凄さ・・・
自然の脅威や、流行と言う時の流れには逆らえないけど、人はそれを乗り越えて創成と再生を繰り返していたのではないのかと思いました。

「月刊アレコレ」と言う着物の雑誌が、昨年11月号を最後に休刊しましたが、今年の6月に復刊しました。私はその雑誌から取材を受けたことがあり、それがきっかけで休刊中も編集長の方と音信が続いていました。そして編集長の方からニューヨークで活躍しているアーティストの方をご紹介いただいて、素敵な出会いがあり、人との繋がりの素晴らしさを知る機会が今年は多かったです。

来年の予定が今からいろいろ入ってきています。
そして、年明け早々には、日本のテレビ番組(お正月特番)でアメリカで撮影があった時にタレントさんに着物の着付けをしたのですが、それがもうすぐ放映される予定です。
いろんなこと、これからの始まりに、胸が沸々としています。

街の復旧に向かう人たちの強さや、雑誌の復刊、「再生」と言う素晴らしさ、それはどんな分野においても人としての英知の強さを表していることで、
私も、これからの始まりに、浮き沈みながらかもしれませんが、「再生」と言う言葉を忘れないで日々前進したいと思いました。

今までを糧に、来年への始まりに、全力で進んでいきたいと思います。

12/11/2010

糸をつむぐことからキモノははじまる

「結城紬(ゆうきつむぎ)」(茨城県、栃木県)がユネスコの無形文化遺産の代表リストに、11月16日登録されました。

結城紬は私も大好きな着物です。世界に認められた感動をツイッターで直ぐにUPいたしましたが、ブログにUPするのが月を超してしまいました。
ツイッターで、結城紬が出来るまでの工程を動画でお知らせしたところ、その動画を見て涙が出たとメッセージをくれた方がいました。私も、とても感動いたしました。

結城紬が出来るまでには、17の工程があります。
図案設計、真綿かけ、なめし加工、糸つむぎ、かせあげ、目色染め、下糊つけ、整経(たてのべ)、墨つけ、糸くくり、本染め、本糊つけ、蔵通し(おさとおし)、はた巻き、機織り、検査、整理(糊落とし・伸子張り)

2年半前に結城紬の体験工房に見学・染め織体験に行ったことがありました。
全ての工程は、茨城県の結城市や栃木県の小山で出来上がることを知りました。
真綿を手にしたときの温もりは忘れられません。

17の工程の中でも、「糸つむぎ」には、結城紬の素晴らしさを凝縮していると思いました。
糸を引くときには、先ずは設計図を見て、糸を細く引くべきか太く引くべきかを判断するそうです。
糸をつむぐ方は、親指と人差指にツバをつけながら、少し撚りぎみにして、所定の太さに引き出します。
茨城の大里ふくさん(無形文化財)は、糸を紡いで50年を過ごした時の言葉に、「いちばん難しいのは、糸を平らに引くことでしょうね。糸が平らかどうかで、紬の善し悪しは決まってしまうんです」と泰流社発行「紬 素朴な美と日本的な味わい」の中で語っています。

真綿にしてから引くということは、切れぎれになった綿状の短い糸を寄せ集めながら一本にしていくので、引き加減や足し加減が難しく、平らに引くには、熟練した技術と指先の勘が必要なのです。

着物は、糸からはじまるのだと、結城紬の着物を着る度に思います。

着付け教室の生徒さんたちが、時々、「袖を通さなかった着物が、教室に通うようになって袖を通して、やっと日の目を見た」と面白いことを言ってくれます。
不思議に、着物が喜んでいるかのように伝わる時もあります。
何かしら機会がないと着物を着ようと思うことがないとは思いますが(特に海外で生活していると)、でも、眠っている着物があったら、先ず袖を通して欲しいなって思います。上手く着られなくても、袖を通すだけでも、見えていなかった世界が見えて来ると思うのです。

結城紬の動画はこちらです。
是非、ご鑑賞してくださいね。


参考文献
泰流社発行「紬 素朴な美と日本的な味わい」
講談社発行「人間国宝シリーズ43 結城紬」

ユネスコのwebページhttp://www.unesco.org/archives/multimedia/index.php?s=films_details&id_page=33&id_film=1669

11/25/2010

アフリカンな表現での着物

ニューヨークのコロンバスサークルにあるアート・アンド・デザイン美術館(Museum of Arts and Design)で、グローバル・アフリカ・プロジェクトの展覧会が今、開かれています。
先日、その展覧会に出展している着物デザイナーのセルジュ・モアングさんからレセプションに招待いただき行ってきました。

以前からお互いの存在を知っていたのですが、セルジュさんとはそのレセプション会場で初めてお目にかかりました。
アフリカの生地を使って着物を表現しているデザイナーさんがいることをインターネットで知りブックマークに入れていたところ、アメリカのブライダル雑誌からセルジュさんがデザインした着物で着付けをして欲しいとのご依頼が舞い込んできました。あまりにも偶然で不思議なタイミングでした。

その雑誌の撮影が終わったあとに、セルジュさんと音信がはじまりました。

今回の展覧会は、アフリカをアートとして表現している100人以上のアーティストの作品が展示されています。その展覧会の案内のポスターになっている写真には、セルジュさんがデザインした着物がうつっていました。

セルジュさんの着物は、アフリカの生地を使って作られています。
上の写真がセルジュさんの作品です。
生地は木綿が多いのだそうです。身近に着物を着られるようになって欲しいとの願いからこのような着物を生み出したそうです。
着物デザイナーでもあり、日産のカーデザイナーでもあります。工芸での表現も制作していて、今回の展覧会に着物だけではなく陶器の可愛いオブジェも出展していました。写真がないのが残念です。

着物作家の芹沢銈介も、工芸デザイナーとしても有名です。着物をデザインするには、立体的で3Dなデザインセンスが大切なのかなって思いました。


レセプション会場でセルジュさんとご一緒に。









グローバル・アフリカ・プロジェクト展覧会についてのwebページ
http://collections.madmuseum.org/code/emuseum.asp?emu_action=advsearch&rawsearch=exhibitionid/,/is/,/508/,/true/,/false&profile=exhibitions

セルジュ Serge Mouangue さんのデザインした着物は、こちらのwebページで見られます。
Wafrica と言います。

11/10/2010

大理石彫刻の優しい美しさ

Grant Winners Exhibition 2010と言う展覧会が、NYの美術専門学校の中にあるギャラリーで開かれていました。Grantを受賞した8人の作品が出品しています。
その受賞者の一人である彫刻家のMinakoさんからレセプションの招待をいただき昨日伺いました。

日本の着物雑誌である「月刊アレコレ」の編集長からMinakoさんを紹介いただき1ヶ月ほど前から音信がはじまりました。そして昨日はじめてお会することが出来ました。

私は、月刊アレコレという着物の雑誌から取材を受け、インタビュー記事が昨年の11月に載りましたが、Minakoさんも昔着物に凝っていて、月刊アレコレから取材を受けたことがありました。
恐れ多くも、同じ日本の着物の雑誌に載せていただき、その縁からNYで繋がったこと、とても嬉しかったです。

Minakoさんの作品は、温かな優しさと、ただただ美しさの強さが心にダイレクトにきました。そして、作品のタイトル「風」にもあるように、本当にそよぐ「風」を感じました。上の写真がタイトル「風」の作品です。

こちらの写真、丸いボールを手の中に抱きしめているのが「アース イズ イン ユア ハンズ」で「地球を掌の中に」と言う作品です。

これらの作品は、一日10時間以上、大理石を削り削り作られていくようです。凄まじい情熱に驚きました。
まるで、人間の根源にある「温かな心」を大理石から引き出していくような印象を受けました。そして魂が宿ると言うか、風さえも吹く世界観を取り巻くと言うか・・・純粋に、感動しました。
何かを芸術として認められるまでに"表現"することは、凄まじい情熱の上で成り得るのだなって思いました。

着物の着付けも、ただ上手く整然と着付けられたと言うのでは、どこか物足りなくて、その人自身の個の美しさを引き出せてこそ、着付けることのプロが存在するのだと思いました。
Minakoさんの作品からとても刺激を受けました。
そして、純粋に感動しました。

写真は、作品「桜観音」の前で、Minakoさんがご来場の方とお話しをしている姿です。

こちらの写真は、Minakoさんとご一緒に、作品「アース イズ イン ユア ハンズ(地球を掌の中に)」前で。 

Minakoさんのwebページ http://www.minakoyoshino.com/
展覧会webページ (in Art Students League of New York) http://www.theartstudentsleague.org/ExhibitionsLectures/GrantWinnersExhibition2010.aspx
月刊アレコレwebページ http://www.arecole.com/

10/30/2010

ニューヨークの秋に思うこと

ニューヨークでの紅葉も綺麗です。
夏が終わるとアッという間に冬になってしまうので、秋を感じることがなかったのですが、一昨日は15度から20度ぐらいに気温も上がり、日本の秋のような気候を感じておりました。
とても過ごしやすい日が続きました。

イギリスの新聞テレグラフに10月23日付けで、「着物をつくることその物が死にかけているアートである」との内容の記事が出ました。http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8082875/Kimono-making-in-Japan-is-a-dying-art.html
日本国内での、着物の作り手が高齢化していることや後継者がいないことへの危惧が書いてありました。

次世代へと繋げる、継承して行くにはどうしたらいいのだろうと思います。

私は、アメリカの2か所の美術館で着物のワークショップや、ウォールストリートのロータリークラブでスピーチをしたことがあります。着物が世界に認められるファッションであることが大切なのではないのかと思っています。
危惧されていることへの解決策に繋がっていることなのか分らないのですが、ニューヨークから世界に向けて着物を発信しつづけたいと思いました。

ユニクロの創業者の柳井さんが書いた本のタイトルが目に飛び込んできました。
「一勝九敗」
あれだけの方でも、九敗あっての一勝なのだと心を打たれました。
私は、九九敗して一勝を得るぐらいの心持ちで頑張って行きたいと思いました。

10/10/2010

素適な七宝焼を見て思ったこと

私の友人のTomoさんが、"Japanese young contemporary craft & objects"と言う展示会に七宝焼のジュエリーを出品していました。
展示会はNolita(リトルイタリーの北の方)にある家具屋さん(the Red threads)の中で開かれていました。オープニングレセプションにお誘いいただいたので、伺いました。

Tomoさんの作る七宝焼のジュエリーはとても素適で、ネックレスとして使うのもいいのですが、帯留めにも似合いそうだと思いました。

七宝焼は、江戸時代前、日本では刀装具や釘隠し、襖の引き手などの装飾に使われていました。七宝焼という名称は、仏教の経典七つの宝物に匹敵するほどに美しいことから付けられたのだそうです。
写真のように、Tomoさんの作った七宝焼は色その物が輝きを発しているように美しかったです。日本の伝統技法が、現在のジュエリーとしての表現として作られているのは、とても素適だと思いました。

やはり、帯留めにしたいと思って調べていたら、明治や昭和初期にアールヌーボーなどの影響でジュエリー感覚で帯留めが流行した時に、七宝焼の帯留めも多く作られていたようです。
帯留めの歴史的背景も七宝焼の発展の背景である、刀の装飾という共通点があります。

帯留めは、江戸時代後期に芸者さんたちが、男の根付や、刀を留める"目貫"を、男との契りの証として帯に付けたことから始まっています。
明治以降、廃刀令が公布され、刀の装飾品を作っていた職人さんたちの仕事が少なくなったため、着物のアクセサリーとして帯留めを製作したのだそうです。

七宝焼で帯留めを、今風に表現できたら、着物姿も更に素適になるのだろうなって思いました。

*Tomoさんの作品が見られるwebサイトはこちらです。http://www.etsy.com/shop/tomodesigns

展示会場の家具屋さん(the Red threads)です。

10/03/2010

秋の読書

NYに紀伊国屋書店があります。
出かけの帰りの途中に書店があったので、久しぶりによってみました。
自分の必要とする情報を手早く得るにはインターネットの活用は必至な現在ですが、
本屋さんでいろんな情報が、物として入ってくることのほうが、いろんな気づきや閃きなどがあるものだと思いました。

英語の勉強に役立つ本を探していたのですが、結局、能や歌舞伎や文楽の本を買ってしまいました。英語の本がおいてあるコーナーに辿り着く前に、脱線です。

日本の伝統芸能は、知れば知るほど新しい発見があるものですね。多分、日本にいた時は、疑問にも思わなかった当たり前な風景(国立劇場のクロマツの群生などなど)も、本を読んでみると、一つ一つに意味があることに気がつきます。
劇場と自分に距離が出来て、伝統芸能を違った角度から見る機会でもあり、そうしたことも世界観が広がる楽しみ方の一つなのかなって思いました。

歌舞伎衣裳についてですが、約束事として、衣裳の変化は状況の変化を表します。
「ぶっ返り」という手法があります(なんとも大胆な表現ですね・・・)。仕付け糸を抜くと、衣裳の上半身が下に垂れて、全く別の衣裳に変わるという仕掛けです。
本心や本性を現すときに使われます。ぶっ返りの衣裳変化は特に「見顕し」と言う演出の大切な一役をかっているのですね。
舞踊での衣裳変化である「引き抜き」の手法と意味とは違うと私は解釈しておりますが、本によっては、「ぶっ返り」を「引き抜き」の一部としている本もあります。

歌舞伎の衣装演出は物語の進行上、大切な要素であり、とても憧れる世界です。
秋の読書で、憧れの世界に心が戻れた感じです。

この写真は、今はない歌舞伎座の衣裳部屋です。篠山紀信さんの「ザ 歌舞伎座」と言う写真集からです。

9/26/2010

アート系の撮影

昨日の土曜日にWilhelmさんと言うフォトグラファーさんにお声をかけていただき、スタイリストとして、作品撮りの撮影に参加しました。
Wilhelmさんは、American Expressや車のBMWなど(他多数)大手企業広告を撮影しているフォトグラファーでアメリカとドイツで活躍しています。翌日も、Virgin Atlantic航空の撮影を控えているとのことでした。

アート系で表現をしたいとのことで、洋服に帯という組合わせで、そして、コンセプトは、「お菓子のポッキー」です。
言われるがままに、洋服に帯を結びました。そして、「Hiro、はじめはトラディショナルに撮影していきたいんだ」と言ったので、頭の中がハテナマークでいっぱい・・・。既に、トラディショナルではないのですが、モデルさんの髪形もロングヘアにパンダのお耳のようなものが付いていて、「トラディショナルに簪をさしていきたいんだ」と、またまたおっしゃるので、また私が静止していると、「Hiroに任せる。でも、はじめはトラディショナルに・・・」と言いつづけていました。
この写真がフォトグラファーさんです。

ワンショット目の撮影が終わると、「OH、Hiroの発想はクレイジー」と良い意味で、お褒めをいただきました。うーーーん、言われるままにやっていただけなのだけど。。。

着物を撮影で使いたいと言うと、着物はテーマ性が強く、どうアレンジしてもそのもの「着物」が強く表現されてしまいます。今回のように、「洋服と帯」とかどこかしら和の要素が含まれても「あっ、帯を使っている」「着物をこんな風に使っている」と主役を奪われてしまいます。でも、彼の表現の大らかさと豊かさで、どこか、その着物のテーマ性を越えられる何かしら光るものを感じる感性を持っているフォトグラファーさんだと思いました。出来上がりの作品が楽しみです。

パソコン上で修整がいくらでもきく今ですが、それでも、洋服の裏地が少し1mmほど見えていただけでも、気にしていた姿にとても感動しました。そのものに入り込む気持ちの強さがすごいと思いました。
白いセーターを着ているのが私です。この写真は、即興で、オブジェのように帯結びをつくっているところです。どういう風に写真の作品となっていくのでしょうか?楽しみです。

9/18/2010

NYファッションズナイトアウトでカール・ラガーフェルドと着物

ニューヨークのファッションウィークに伴い、前夜祭的なファッションズナイトアウト(Fashion's Night Out 2010)が9月10日に、ミッドタウンからアッパーイーストにかけてブランド街で催されました。
この催しは、VOGUEの名物編集者であるAnna Wintourさん(映画「プラダを着た悪魔」の題材になった人)の呼びかけにより昨年から全世界的にはじまったファッションズナイトアウトです。

私と、私の仕事を手伝ってくれているスギさんと二人で、ファッションズナイトアウトに着物を着ていくつかのショップをまわりました。
バーニーズの6階フロアーには日本人のデザイナーさんがいました。Kitsuneと言うブランドで、Masaya Kurokiさんと言う方でした。
7階では、若手デザイナーのアレキサンダー・ワン(Alexander Wang) のイベントが行われていて、DJの音楽で大変盛り上がっていました。ご本人も会場に登場です。

ミッドタウンのマディソン アベニュー(Madison Ave)は混雑です。
マネキンは人形ではなくモデルさんたちがマネキンに扮していました。

DKNYのダナ・キャラン (Danna Karan) ご本人に会いました。とても毅然とした素適な女性でした。

何より感動したのが、ミッドタウン53丁目にあるFENDIのショップで、カール ラガーフェルド(Karl Lagerfeldに会いました。少しだけお話しも出来き、大感動!

彼はフェンディ、シャネル、クロエのメゾンのデザイナーを兼任しています。パリとミラノが拠点ですが、ニューヨークで会えるなんて、夢のようでした。着物姿の私たち二人がカールに近づくと、カール自身が小さく手招きしてくれたのでご一緒に写真をとることが出来ました。大らかで優しくて温かな雰囲気のあるカールでした。着物に興味があるのかな?

9/10/2010

世界評価への一歩

The International Photography Awards(ipa) と言う、写真の賞としては大きな世界的な賞があります。
フォトグラファーのYusukeさんの作品撮りで、私が着物スタイリストとして参加した作品が、その賞のHonorable Mention(日本語で言うと奨励賞)に入りました。
ipaのwebサイトには、私たちの作品が載っています。
こちらがそのサイトです。
http://photoawards.com/en/Pages/Gallery/zoomwin.php?eid=8-22165-10&uid=&code=Other_P

撮影をしたのは、今年の4月でした。
ニューヨーク・ロンドン・パリ・ミラノで活躍するメイクアーティストさんや、ヘアアーティストさんも作品撮りに参加してくれました。ご一緒出来て、とても光栄でした。

「着物は難しい-」と皆で叫びならの撮影でした。
コンセプトは固まっていたものの、あまりにも美しい白人男性のモデルさんを目の前にして、頭が真っ白。その美しさをメイクアーティストの本田さんがダークなコントラストを作りだし、着物とのバランスをとってくれました。

また、同じメンバーで作品撮りを計画しています。
皆様とご一緒出来て、着物の表現が世界評価への一歩目を踏み出せたと思いました。


撮影現場の写真です。

また皆様とご一緒出来るのを楽しみにしています!

9/03/2010

カリブ海 リゾートホテルのドレスコード

メキシコのユカタン半島に位置する一帯 Riviera Maya にあるリゾートホテルに宿泊していました。
カリブ海のコバルトブルーってこういう色なのだなって思うほど美しい海でした。自然界の色の変化はグラデーションの美しさをより深くしているようでした。

着る場面がないかもしれないけど、今年仕立てた浴衣を持ってきていました。

一週間ほど同じホテルに滞在していました。ホテルのレストランのドレスコードは "カジュアルフォーマル" と記されていて、こうしたドレスコードは逆に難しさを感じてしまいます。
カジュアルでもフォーマルでもいけない、そして普段仕事するときや日常着の服はリゾートでは最も合わない。
リゾートホテルに長期滞在することに馴れているヨーロッパやアメリカ人の方たちの着こなしの上手さは、「さすがだな」って、いつも思います。
洋服も尽きてきたので、思い切って浴衣を着てみました。正確にはドレスコードのカジュアルフォーマルには相当しませんが、リゾートホテルということで勝手に自分を大目に見ました。

カリブ海のリゾートホテルでは浴衣が似合いそうにないところですが、着てみると夕涼みには良い感じに思いました。(浴衣を着て写真を撮ると一気に日本の旅館にいる感じですが・・・)
浴衣は着心地が楽で、涼しくて、レストランのエアコンがききすぎているところでも適度に過ごせて、実は世界共通、夏の気候に万能ではないのかと大袈裟にも思ってしまいました。

ホテルの従業員の人が浴衣姿の私に声をかけてきました。
私の滞在しているリベラヤマヤのとなりのエリアであるカンクンという街は、とても人気のあるリゾートホテルがいっぱい建っています。
ホテルの従業員の方は、そちらのカンクンのリゾートホテルで和装で結婚式を挙げているのを見たことがあると話してくれました。
カリブ海で着物で結婚式というのも素適な場面であったのだろうなって思いました。

浴衣を着ただけで、宿泊客の方たちに声をかけられました。
「so beautiful」、「Kimono!」などなど・・・
「Kimono!」と声をかけてくれた方に、「これは浴衣です」と私が説明すると、「I know(知っている)」と言ってくれた淑女もいました。

今回宿泊したホテルには、Sushi Bar(鮨カウンター)がありました。海外に出ると、Sushi(鮨)が世界に知られていることに驚きます。

日本の文化は凄いなって思いました。

カリブ海の海風が吹いてくるバーで浴衣で夕涼みもいいですね。


8/01/2010

長板藍染めの浴衣

日本からの便りで、昨日、隅田川の花火大会があったことを知りました。
私は東京出身ということもあり、馴染みのある花火大会です。親の友人の家から見えたので、大人たちは2階の部屋で宴会、子どもたちは1階の屋根に座って見ていました。今から思うと随分危険な見方をしていたのだと思います。
花火大会と言えば、浴衣ですね。
浴衣と言えば長板。昔々は、長板と言えば浴衣のことを指しました。

今年、長板の古い反物を仕立てました。
写真がその浴衣です。両面を同じ模様に染められていることから、昔からの伝統技法でつくられた長板であることが分ります。
伝統的な江戸前の長板中形は、柄が細かく、小紋のような美しさを持っていて、「藍染めの江戸小紋」と形容されました。
現代的な大柄の中形と区別して「小紋中形」とも表現されています。
この写真の浴衣にしても、柄が細かいですね。

私が読んだ本に書かれている長板藍染めには4つの工程がありました。
「型付け」長板の上に貼った白生地に型紙をのせ、防染糊をつけていく。同じ柄を表裏ぴちっと合わせて型付けします。
「下染め」豆汁を刷毛塗りして、藍がうまく染まるように生地を整えます。
「藍染め」藍瓶に浸して染めた生地で風を切ります(風切り)。
「水元」布地をいたわり水洗いします。外の干し場に生地を伸ばして、最後の風切りです。

第三の工程の「藍染め」では、藍で染めた生地が風を切れないと染めムラが残るのだそうです。熟練の技で風は切られていくのです。
本には、藍染め一筋に生きた野口謹一郎さんの素適な言葉がありました。
「染める者の側からすれば、こまかい模様があるより、地を見せるのがむつかしい。ほんの少しの濃淡の染めムラでも目立つ」
模様を美しく際立たせるのは「地」の見せ方によるのですね。なぜか利休百首にある「右の手を扱う時は我が心 左の方にありと知るべし・・・」を思い出しました。
極めた人の言葉にはいつも、共通するような感性を受けることがあります。メインでない、見られていないようなところこそ、その物を表わされていることがあったりして、難しく、心をおかなくてはいけない・・・。

「藍は生きています」
私は幾度となくこの言葉に出会いました。
野口さんの仕事を知って、まさに藍は生きているのだと実感し、そして、その藍染めの浴衣との付き合い方も分ってきたように思います。
「まず一年は着ないでねかせておいてほしいんです。」と、野口さんは言います。
そうすれば藍が枯れ、生地にくい込んで、色うつりを多少防げるのだそうです。
「昔は客の方でよく知ってて、来年の分を今年もとめたもんです」

来年の浴衣を買っておく。急かしい時世の中で、なんとも贅沢なお話しだと思いました。

本藍染めは、「着れば着るほど味が出る、洗えば洗うほど藍の青がきれいな色になっていく」と言われています。
私も、長く付き合える浴衣に今年出会えたのだと思いました。


先日、日本橋にある浴衣の問屋「三勝」を営んでいる天野様が、ニューヨークに遊びに来ていました。ご一緒にお茶をいたしました。短い時間でしたが、とても楽しい時間でした。
「三勝」は長板中形の人間国宝 清水幸太郎の技を継承しております。
webページを是非ご覧ください。
http://sankatsu-zome.com/

6/29/2010

ロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチ

ロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチをしました。スピーチをしたのは、6/16で、もう、10日以上も経つのですね。
その6/16は、150年前、日本から遣米使節団がニューヨークに初めて来た節目の150年を記念する日でした。その日を、ブルンバーグニューヨーク市長が日本の日として、エンパイヤの灯りが日本の国旗に彩られました。

そんな記念すべき日に、ニューヨークのロータリークラブウォールストリートで着物のスピーチをする機会に恵まれ、偶然のこととは言え、大変光栄に思いました。
先週、クラブから記念の盾が贈られてきました。黄金の色の箱に入っていて、箱を開いたら丁寧に紙に包んでありました(写真)。そして、手紙もそえられていました。

スピーチ当日は、いつもとは違った指向とのことで、会場にワインにチーズと言う組合わせが置かれるとのことでしたが、それに加えて、会場に巻き寿司と日本のビールもおいてくれました。会場は小さなところでしたが、満席で立ち見が出るほどにスピーチを聞きにお越しになってくれました。

スピーチ内容は、着物の歴史・変遷、今の着物の現状と、着物産業の問題点、今後への課題と、私が世界へと向けて着物をNYから発信していきたいと思った理由。47枚のスライドでお話しさせていただきました。
今回、このようなスピーチをする機会に原稿をつくり、着物は世界へと発信していくべきだと強く思いました。でも、同時にそこには大変に難しい大きな壁があることも痛感しました。

英語での30分近いスピーチは大変でしたが、スピーチが終わった時に拍手をいただき、その後にもいろいろ質問をいただき皆様の関心が深まったこと、着物の素晴らしさや気持ちが伝わったことが何よりも嬉しかったです。

次世代へと継げる物が作り続けられるように、世界を巻き込まないといけないと思っています。一人では何も出来ないことですが、でも、はじめの一歩がないと何も始まらないとも思いました。
ロータリークラブウォールストリートにはクラブに所属している現地アメリカで活躍している方たちがお越しになってくれました。アメリカ人からヨーロッパ、アフリカの方たち多くいました。そして、その中に一人日本人の方がいて(その方が今回の件をお声をかけてくれました)私のスピーチに、「着物の歴史がこんなに深いとは思わなかった、もっと着物のことを知りたいと思いました」と、お手紙をいただきました。

反響は思うほどには直ぐには表れるものでもありませんが、大きな一歩を踏み出したと思います。
そして、会場の皆様の反応に、着物は、世界のファッションとしても発信できる無限の可能性を秘めていると確信しました。

Rotary Club of Wall Street

6/08/2010

Japan Dayセントラルパーク サムライパレード

Japan Dayセントラルパークというイベントが6/6にありました。
そこで、150年前に遣米使節団の77人のサムライがニューヨークを行進したとのことで、それを再現するパレードが行われました。

サムライパレードは、正使・副使・目付のメインの3人を先頭に、鍋島藩大名行列推進委員会の野中理事長が率いる50名のサムライがセントラルパークを練り歩くと言うものでした。

私は、正使・副使・目付の3人の時代考証と着付けをいたしました。
時代考証では、ニューヨークシティーミュージーアムに保管されている資料のコピーですが、見させていただく機会に恵まれました。
150年前のお侍さんは、とても派手な袴を着ていました。そして、身分が高い人ほど、白い衿と白い雪駄・・・3人の正使・副使・目付は、やはり白色でした。

写真は、ニューヨークシティーミュージーアムで資料閲覧させてくれたKathleenさんとご一緒に。Kathleenさんありがとうございました。


今回、鍋島藩大名行列推進委員会の野中理事長が率いる50名のサムライの着付けを担当してくれたのが、私の着付け教室の生徒さんたち7名です。

Japan Day前日の6/5に7名の生徒さん皆様と、当日にむけての準備と着付けの復習をご一緒にしました。

その準備の時の写真です。生徒さんたち同士で着付けをしているところです。

6/6、Japan Day当日、雨の予報にもかかわらず、晴天でした。
私の着付け教室に通ってくれている、美容師の泉水さんが、私が担当する正使・副使・目付のヘアセットをしてくれました。そして、私のアシスタントとして、着付け教室の生徒さんの一人が当日大変に助けてくれました。

アシスタントをしてくれた生徒さんが「袴が派手なのですね」と言うので、そこがポイントであることもお話をしました。

今回のお侍さんの着付けでのポイント、武士の決まりである刀を2本差しするため、角帯は3回りすること、そして、今馴染みである白黒のストライプの袴は、150年前にはそうした決まりの柄が着用されることはなく、とても柄や色彩豊かな派手な袴を着ていたこと。そして、中級~下級武士は、脚絆(黒色)を着用していたのですが、高い位の武士は、白の鼻緒の雪駄、白衿でした。

しかし、今では刀を2本差しすることが想定されていないのか・・・角帯が3回り出来ませんでした。それとも、帯の長さは変わらないけど、昔の人が痩せていたのかなって思いました。

もっといろいろ考察ポイントを上げたいのですが、それは改めて詳しく書こうと思います。

無事、6/6Japan Dayセントラルパークでのサムライパレードが終わりました。

生徒様たちとご一緒出来たイベント、本当に楽しかったです。

当日の50名のサムライパレードの着付けをしている様子です。









50名のサムライパレードを担当してくれた7名の生徒さんたち










正使・副使・目付の三役のヘアセットを担当してくれた着付け教室に通ってくれている生徒さんで、美容師の泉水さんです。
 当日アシスタントして、私を助けてくれた生徒さんです。西宮大使が足袋をはくところの写真です。
御三方の正使役NY領事館西宮大使と、米国三菱商事の小松社長と、米国三菱商事の和光様と、サムライパレードスタート地点に行く前の最終チェックしているところです。

鍋島藩大名行列推進委員会の理事長の野中様が先頭を歩いています。御三方(正使・副使・目付)をお守りする気持ちで行進してくださいと話してくれました。

こちらの本が大変に参考になりました。当時の御三方の凛々しさ、NYの地で再現出来たこと、嬉しかったです。

ご協力してくださいました生徒さんたちお疲れ様でした。心からありがとうございました。
ご一緒出来て、とても楽しかったです。

5/16/2010

撮影が続きました

4月から5月にかけて作品撮りの撮影が続きました。

ご一緒したフォトグラファーさんが、表現したい方向が皆様違っていたので、その都度いろんな発見や、これからの課題、そして、自分の表現についての挑戦したいことの焦点も定まっていくものでした。

作品撮りの撮影を重ねる度に、まだまだ入り口にいるような錯覚に見回れます。
まだまだ出し切れないほどの、着物の強さに自分の表現したいことが追いついていない感覚です。

伝統が折り重なった今に通じる濾された洗練さが凝縮して、そして、人が着てこそ成り得る世界観が、空間と調和して作られ、着物の表現がさらに広がっていきます。そこに、自分らしいスタイリングの表現を出していくことに、高い垣根を感じることがあります。

「着物だけで、ドラマがあるから」と、アフリカンアメリカのフォトグラファーさんに言われて、何度も話し合いながら、写真を撮っていきました。

「着物」には「ドラマ」が存在している、まさにそうだと思いました。

今回作品撮りに参加してくれたモデルのsarahさんは、アメリカで人気テレビ番組「アメリカントップモデル」で話題になった方でした。
とても冷静で魅力的な方でした。












ヘアアーティストやスタッフの方たち、とても素適な方たちでした。また、近いうちにご一緒に。。。

5/15/2010

プロムへの夢

プロムに参加する高校生から、「着物を着て行くことが夢」と、電話やメールで問い合わせがありました。フィラデルフィアからでした。
御母様からもメールをいただき、正式にご依頼を受ける形になりました。

ニューヨークシティーから急行のアムトラックで1時間10分のところ、普通電車では2時間30分ほどかかるところにフィラデルフィアがあります。

フィラデルフィアの駅に到着すると、駅のホームで高校生の御母様と、ご本人の高校生が「Hiro」と掲げた大きな紙を胸元に持っていて、団体旅行をしたときのことを思い出してしまいました。

その高校生の女の子は、日本のアニメがきっかけで、日本にとても興味がわき、日本語教室に通い、テレビも日本の番組と歌しか聞かないと話していました。
将来は、日本で働きたいと話してくれて、その溢れるほどの日本への熱い思いがありました。

家に着くと、高校生の祖母や御父様もいらっしゃって、そして、彼女の日本語の先生まで見学にいらっしゃっていました。
彼女に日本語を教えている先生は、日本人の方でした。「ニューヨークから着付けをする人を呼ぶと言う発想が浮かぶことに、私は驚いたの」と日本語の先生は私に話してくれました。

ニューヨークシティーとフィラデルフィアは距離にして東京と名古屋ぐらい・・・、私が高校生の時に、卒業式パーティーに出席するのに、着ていくドレスや着物をスタイリングしてくれる方を遠方から呼ぶと言う発想は、確かに、それさえも浮かばないことだったかもしれません。

着付けと言う仕事がアメリカ人の高校生の「着物を着てプロムに行くことが夢」へと形にしていける橋渡しになったこと、素適なことだと、仕事を終えて思いました。

彼女からビーズを付けて欲しいと言われて、帯揚げの上につけてみました。彼女のイメージするスタイリングをしていくこともとても楽しかったです。
御母様が、「娘の願いを叶えてくれてありがとう。Hiroは着物のスタイリングを現代的にも スタンダードな古典も両方できるのね」と言ってくれて、その一言が嬉しくて、その時期、法人設立の手続きをしていたところだったので、社名を「Mode & Classic」に決めました。

アメリカの高校生の夢を形にしたときに浮かんだ社名、私も、夢を形にしていこうと、その決意や想いが漲った瞬間に感じました。

*写真は大量のビーズの登場で、どのようにスタイリングしようかと考えているところです。

4/22/2010

撮影を受ける側

最近、スタイリストとしての撮影がつづいていました。

でも、昨日は、私が撮影をされる側になるご依頼があり、それも動画のビデオ撮影で、着付教室の様子と着物の紹介と、そして、インタビュー・・・。
インタビューは大変苦手で、私の声が小さいみたいで、「もっと大きな声で隣の部屋に聞こえるような声を出して」と、何度もやり直し・・・。
そして、インタビュー内容もアメリカ人の方からの質問は余にも漠然としていて、「着物とは何ですか?」って聞かれると・・・一言で言う具体的な言葉が浮かばないものですね。

着物の紹介も、一着の着物そのものに、歴史・風土と膨大な文化的背景が含まれているから、短い表現で言葉に表すことが、あまりにももったいなく思う不思議な感じがしました。

私は、日本にいた時に京都の観世流シテ方の能役者の先生から、能のお稽古をいただいておりましたが、先生が「今に通じる京友禅の発展は、600年前から能役者の生き血を吸った美しさの結晶でもある」という素適なお話しをしてくれたことがありました。

京友禅一つにしても語り尽くせないほどに奥が深く、そのもの着物を短い時間の中で表現することの難しさ、インタビューという形で着物を伝えることの難しさを今回痛感しました。

着物スタイリストとして撮影をする側でしたが、撮影を受ける側にたって、ニューヨークで「着物」を伝えていくことへの課題が沢山できたインタビューでした。

こちらの写真は、ビデオ撮影を終えて、撮影をご一緒した皆様と記念に。

4/04/2010

帯に時を越えた物語が存在する

ニューヨークでも日本舞踊のお稽古を続ける機会に恵まれています。

大切な知人と会食する機会に恵まれた日、この写真にあるお気に入りの帯を締めて、会食前、日本舞踊のお稽古に行きました。
日本舞踊の先生がこの帯を見て、「あらー、良い帯しているわねー」と叫びのような声を出しました。なんて素適な響きなのでしょう。

この帯には、歌舞伎の舞踊劇で見られる演目が描かれています。

実は、先生の「あらー、良い帯しているわねー」の一言に出会うまでは、演目の詳細まで考えずに、
呉服屋さんが言う、「姉様模様」と言う表現をそのまま受け止めていました。でも、そこには歌舞伎にちなんだ姉様人形というものからきている模様でした。姉様人形(和紙と千代紙で作られる)を更に帯の模様にする・・・あーーー(感嘆)、深いですね。

お恥ずかしいながらも、今まで模様の内容まで考えずにいて、言われてみてからじっくり見ると、「あーーー、藤娘に、道成寺、近江のお兼、汐汲み、鷺娘、・・・」
ここには、舞台が広がっていました。
帯一本の中に、世界があるのだなーと感動しました。そして、日本舞踊の先生の初舞台「お兼」にも出会いました。こうした出会いがあるなんて、帯の模様にも時を越えた物語が存在しているのだと思いました。

その日、祖父が義太夫だったと言う人と、不思議な縁でNYで出会い、会食をご一緒させていただきました。四人でミッドタウンイースト61st Lexton-ave「輪島」という大好きな日本食レストランでお食事をいたしました。
この帯に、気がついてくれるかなって、少しドキドキしました。

演目、見つけること出来ましたでしょうか?
藤娘に道成寺、汐汲み・・・見つかりましたか?
私は、耳に馴染んだのか、いつも利用していた呉服屋の女将さんがキッパリ言う「姉様模様」の一言の表現も、また好きだったりします。

3/07/2010

アメリカ人の着付け師

ニューヨークの私の着付け教室の生徒さんで、キャミちゃんと呼んでいる大学生の女の子がいます。着付け教室に通いはじめてから、一週間に一度、毎週通っていました。
法学部に通い、司法の方面での将来の夢もしっかり持っていますが、日本文化が大好きで、日本語の勉強と、そして日本舞踊のお稽古、三味線もお稽古しているとのことでした。
着付け教室で、私がつたない英語で頑張って話しかけると、「日本語でお願いします」と、言われてしまうほど、日本漬けになりたいみたいです。
日本語を習い始めたとは思えないほど、急速に上達する日本語・・・、私の英語の上達の速度の遅さを痛感してしまうほどです。
分らないこと、分ったことの確認など、ハッキリとおっしゃってくださるので、とてもレッスンがすすめやすかったです。
全国和装コンサルタント協会が認める二級講師免状にむけて、カリキュラムを全て満たし、そして、日本語での筆記試験も、しっかりこなしました。
昨年の10月は、ジャパンソサエティーというところで開かれた七五三で、着付けのボランティアに参加して、大変活躍したそうです。
今年の中頃には、日本の大学に留学する予定で、引き続き、駒込和装学院の師範科コースにすすみたいと言っていました。師範科コースでは、十二単衣の講習や、花嫁の講習も受けられることを言うと、とてもエキサイティングしていました。
駒込和装学院の諸先生方も、楽しみだとおっしゃってくれて・・・ニューヨークで得た技術を、日本の先生方に引き継げること、私もワクワクしています。
全国和装コンサルタント協会では、はじめて、アメリカ人に御免状を発行いたしました。
本当に、駒込和装学院の先生方に、大変感謝しています。

キャミちゃんとの会話での面白いハプニングはいろいろありました。
絞りの帯揚げを出すと、「きらいです」と笑顔で言うのです。「まあ、なんて、正直な子なのだろう」とスゴスゴと帯揚げを引き出しに戻そおと思ったら「きらいです!」と連呼するので、「もしかして、綺麗です?」と言うと「Yes!」と笑顔で言っていました。「きれいです」が「きらいです」になっていたのですね。
最近では、「この帯、やすいです」と言うので、私の顔が引きつると、それでも笑顔で「とても安いです」と言って、帯を折り曲げる仕草をしたので、もしかして・・・「柔らかい?」と聞き直すと、「はい」と言うので、「安い is cheap」(「安い」は「cheap」)と説明すると、大笑いして、「すみませーん」と叫んでいました。まだまだ、このような話しは尽きないほどありますが・・・
教えている私が言うのも変ですが、本当に、楽しいレッスンでした!

2/28/2010

撮影は楽しい

今月3月に作品作りの撮影を控えております。
広告の撮影の時に知り合ったメイクアーティスト(ヨーロッパのファッションをはじめNYで活躍中)の方とご一緒に作品作りです!今から楽しみです。

昨年の11月にKDDIアメリカモバイルの広告で着物スタイリストをしました。
元モーニング娘の加護亜依様が広告のイメージキャラクターでした。写真は、その撮影の時の写真です。こちらのショットは、既に広告になりました。加護様の横に座っているのが私です。

加護ちゃんの愛称で人気を博するだけあって、お目にかかった時に、その存在感の強さに胸が高鳴りました。
ニューヨークには180cm以上の長身のモデルさんが作品作りの時に協力してくれたりと、世界のトップを目指している長身のモデルさんが沢山いらっしゃいます。こんなに素敵なモデルさんたちをつかってテスト撮影が出来るなんて夢みたいだなーと一昨年は思っていましたが、やはり人気歌手・俳優さんの存在感はずば抜けたものを感じ、この撮影を通し、ハリウッドの俳優さんに着物をスタイリングする機会に恵まれないかと心から思いました。

こちらの写真は、今年1月に、私のwebページ作成のために撮影している時の写真です。

モデルとしてご協力してくれたのが夫の職場の女医さんたちや私の仕事をサポートしてくれているEmikoさんの友人である弁護士や広告会社に勤める方たちです。

いろんな分野の第一線で活躍している方たち、着物は、その各々の個に秘められたものを引き出し強く美しく表現できてしまうのですね。彼や彼女たちが日本人でないことを忘れていたぐらいに、自然とした着姿に着物をスタイリングできてちょっと自分で感動しました。
Emikoさんが、「それが着物だもの」と言った言葉が印象的です。

写真を撮ってくれたのが、写真家の野口正博さんで、私が昨年、日本の着物の専門雑誌から取材を受けたときに、撮影をしてくれました。それが縁で、今回改訂したwebページの作成の時に、撮影をお願いいたしました。
野口さんの写真には、とても温かいものを感じます。
撮影は、本当に楽しいです!不思議と、楽しい撮影ほど、良い作品が出来たりするものですね。

こちらの写真は、私の仕事のサポートをしてくれているEmikoさんと私とで、モデルさんに補正するための晒しを作成しているところです。スタイルが良いのですが、兎に角、凹凸をなくすために晒しを彼女たちのボディーに巻きました。

皆様とご一緒に、楽しい撮影でした。

2/19/2010

働く女性から考案された名古屋帯

着付け教室の生徒さんからのご質問で、
「名古屋帯って、なぜ、名古屋帯って言うのですか?」

と、聞かれました。

そんなことを疑問に思ったことがありませんでした。名古屋帯が名古屋帯との所以・・・
名古屋が織機で有名だから?帯の名産地だから?・・・
正直、正確な答えを知りません!なので、調べました。

調べて見るものですね。名古屋帯を考案した方の素晴らしい思想と、その思想に基づく機能的に作り上げるセンスがあったことを知りました。

大正時代は、丸帯・昼夜帯が主流でした。(丸帯は両面に柄が入っているので1本で名古屋帯2本分となるほどです)

女性解放のめざましかった大正時代ですが、ほとんどの女性が和服姿で生活していました。
名古屋帯の考案者である越原春子さんは、名古屋女学校(現、越原学園)を開設準備に奔走し、帯を締める時間も惜しいほどの、多忙な日々を過ごしていました。そこで、着用に時間のかかる丸帯や昼夜帯を解き、軽くて、時間も早くしめられる帯を自ら考案し作りました。

「女性が男性に伍して社会で活躍するには、まず身支度にかかる時間の短縮が肝要と痛感していたのでしょう。」と書いてありました。
そして、名古屋帯でさえも時間がかかると思った越原さんは、もっと時間を短縮したいと考え、そこから付け帯も考案したそうです。

帯を結ぶ機会が減り、結び方を習得する機会が減ったから、簡単に装着できるように付け帯が考案されたと思っていましたが、大正時代には既に考案されていたのですね。それも、女性が社会進出するため、身支度の時間短縮のために考案されてたという話しはカッコイイ話しだなって思いました。
とは言っても、この越原さんの精神が直ぐには受け入れられる時代ではなかったようです。

しかし、大正9年に、現在の名古屋三越が越原春子さんがしている帯に着目し、帯を借りて、同様の帯を作り大正13年に市販したそうです。

この帯は、名古屋女学校の校名にちなんで名古屋帯と名付けられたそうです。この「名古屋帯」は、瞬く間に全国に知られました。

働く女性から考案された名古屋帯は、着物を着ること自体が日常の身支度とはかけ離れたことになった今現在からではあまり想像できない話しではありますが、
名古屋帯もまた、着物と対に特別な装いの一つとなった今、名古屋帯が考案されたおかげで、幅広くいろんな着物に合わせられるファッションとしての面白さが生まれたように思います。紬の着物に、丸帯なんて想像出来ないですものね・・・。

これが名古屋帯に仕立てられた名古屋帯。「イカの頭」と言いながら名古屋帯のたたみ方を習得している生徒さんがいました。確かに・・・イカのあたまのような形(笑)