6/15/2011

2度目のニューヨークタイムズ

3ヶ月ほど前、私は着物について自分の書いた意見がニューヨークタイムズ/インターナショナル・ヘラルド・トリビューンの紙面に掲載されました。ニューヨークタイムズの紙面に載るのは二度目となりました。

その日の朝、「日本で凄いことが起こってしまった。大きな地震があった」と夫に揺り起こされました。日本にいる家族の安否を確認するとともに、私の書いた記事がニューヨークタイムズ紙面への掲載が予定されていたので、掲載を自粛することを急いで編集者に連絡したところ、既に紙面は発行済みで、web上でも公開後であることを知りました。

複雑な気持ちでした。当面、弊社から情報を発信するのを控えました。
それでも世界のいろんな国の人から、その記事についての素敵な感想をいただいたり、心温まるメールをいただきました。

そして、数日経った時に、お世話になった人や身近な人たちにお知らせいたしました。日本が大変な時に、着物の記事が載ったことをお知らせしていいものだろうか分からなかったのですが、思いもよらない「こういう時こそ、日本の人たちに知らせてください」と言うお返事をいただくことが多く驚きました。

長年アメリカで日本の文化活動を支える基金に勤めていた方からのメールです(今年定年退職して日本在住)。
新聞記事を見せていただいてありがとうございました。よかったですね。自分の主張をきちんと載せてもらえました。記事の掲載を自粛する理由が私にはよく分かりません。堂々と出たものは日本の人とも共有していいのではないですか?ひろさんにも考えがあることなのでしょうが、私にはあまり遠慮しなくてもよいように思えました。日本はこれからお葬式に入るのではなくて、再生の時代に入るのです。そこでは個々の才能の成長や希望の展開が望まれるのです。勇気を出してください。
3ヶ月前、親は電話口で「大丈夫、心配しないでください」と言いますが、どうにも居たたまれなくて、日本に少しでも戻る時間を作ろうと思いました。でも、その時、一ヶ月と日がせまっていたヨーロッパ2カ国の着物ファッションショーを抱えていて、その準備は想像を絶する調整の難しさや多くの人たちもかかわっていて、とてもNYを離れることが出来ない状況でした。

そして、新聞を読んだいろんな人たちからメールやメッセージをいただき、目の前にある仕事をおぼつかせてはいけない「自分が出来ることをやり抜こう」と思いました。
それしか出来ないでいる自分ですが、どんなところにいても「今」を全力で生きることしか無かったように思います。

日本は美しい国だったはずです。
全ては、復興への祈りを込めて。

記事のwebサイト
http://www.nytimes.com/2011/03/12/opinion/12iht-edlet11.html?_r=3&hpw

記事の日本語訳は以下の通りです。

Liberate the Kimono
着物に自由を

3月4日に「きものレッスン」という記事でKimiko Makiharaさんが日本での典型的な着物についての考え方を紹介されていました。ほとんどの日本人が現在、着物は冠婚葬祭に着るドレスと考え、いつどのように着物を着るかには厳格な「ルール」があると信じています。
そしてMakiharaさんが書かれているように、多くの日本人が、日本文化の基本的知識が余りないため、着物をどう着こなすかを知らないかもしれません。
実際、着物には1000年以上の長い歴史があります。しかし、現在日本人が従っている殆どの着物の「ルール」はたかだか150年前かそれ以降にできたものです。着物はその長い歴史のほとんどの期間、今よりもずっと自由に着られてきました。
残念ながら、着物の市場は劇的に縮小しています。その原因の一つは、日本人が着物の「ルール」にこだわりすぎて、ドレスとして広く着てこなかったことがあります。
私は着物ファッションスタイリストとして、着物が伝統的衣装、もしくは儀式用ドレスとしてだけではなく、ファッションナブルなドレスとして認められて欲しいと思っています。着物スタイリストとして、着物教室の生徒さんには今日の着物を着る「ルール」はしっかりと教えて差し上げながら、着物はもっと自由に、躊躇なく着るべきだと思っており、そのことも生徒さんに伝えています。
着物は (日本の民族衣装という枠を超え) 国境や人種を越えて、素晴らしい衣装として世界で認められるだろうと思います。そして世界中の人がもっと自由に着物を着ることを楽しむことを私は心から望んでいます。
Hiromi Asai, New York

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