11/27/2011

郡上紬と大島紬

こちらアメリカは、サンクスギビングと言う祝日が先日24日にありました。その日は、日本で言うと、お盆のようなお正月のような日で、仕事も街のお店もお休みで、家族が集まりお食事をご一緒にします。この日をもって、ホリデーシーズンと言う冬休みが始まります。
10月後半や11月初旬が日本で言う師走の忙しさと言う感じで、世界的にメジャーなVOGUE やi-D Magazineなどからの仕事が、時期を集中して相次ぎました。
サンクスギビングの前日に夫からのプレゼントが届きました。その箱の中には、郡上紬と大島紬が入っていました。少し早いですが、今年一年仕事を頑張った私へのプレゼントなのだそうです。

郡上紬は白洲正子も大変評価していたもので、手織りと草木染めという気の遠くなる作業が繰り返されています。
郡上紬は、昔、岐阜県の郡上八幡の農家で織られていた自家用紬でしたが、昭和に入りいったん衰退いたしました。それを再生させたのは、紬では初個人指定の人間国宝に認定された宗廣力三です。宗廣は、開拓農民の育成をはじめ、戦後には天然染料や紬の研究を行い、研究生を養成しながら、郡上の郷土産業として紬の市場開拓に尽力した人であります。今でも郡上紬がこうして私の手にとることが出来るのも、宗廣と一人一人の職人さんたちの積み上げた結晶なのだと思いました。
郡上紬を手にした時にその温かみに驚きました。ニューヨークの冬は氷点下の気温が続きますので、これからの季節、この郡上紬を着たいと思いました。
しかし、今では、郡上紬の作り手が減っていて、一ヶ月十反前後しか作れないそうです。3年ほどでなくなるとの危惧さえ書いてある記事もあり、再び衰退の危機に瀕していることを知りました。これだけの良い着物が存続するにはどうしたらいいのだろうといつも考えさせられます。

もう一枚の大島紬ですが、こちら素晴らしくて驚きました。
本割り込み式、天然藍泥染めです。
本割り込み式は、一時完全に途絶えていました。織れる職人は、かなりの熟練した職人しか出来ない技法で、今現在ほとんどいません。昔とは少々違うやり方ですが復活は試みられています。
本割り込み式を織るには、9マルキ一元式より絣が多く出来(白黒の濃淡がハッキリする)、模様をクッキリさせることが可能です。大島紬は濃淡と密度で柄を出すため、割り込み式は柄を立体的にまでさせていました。これだけの大島紬は珍しいと思い驚きました。
なのに、申し訳ないほどに安かったのだそうです。既製品でとてもサイズが小さかったのですが、見れば分かる素晴らしさです。作り手も減っていますが、良い着物が見えている人も減っているのかもしれないと思いました。
大島の既成品(昔の物)だからとは言え、全てが本割り込み式と言うわけではありません。一時大島紬が流行った昭和50年代頃には一部、韓国に工場を置き生産していたこともあり、こちらは天然泥染めではなく、色大島(化学染料)と白大島が作られました。
パタ−ン柄や無地の大島では、機械織りも可能となりました。
しかし、やはり手織りの素晴らしさを、本割り込み式によって再認識いたしました。人の手が生み出す物とは、きっと五感を振絞る産物、そして風土の経験・記憶・感覚、その可能性は機械織りでは表現出来ない世界がまだまだあるのだと思いました。

郡上紬と大島紬が素晴らしいほど職人さんたちの減っている現状に、どこかポッカリと心に穴があく気分もしました。

1 件のコメント:

  1. 素晴らしい紬のご紹介ありがとうございました!素人の私にも、その素晴らしさがよく分かりました。

    「申し訳ないほど安い」というご感想、解る気が致します。

    手紬だけでなく、「手のかかる」仕事の職人さんの数は、本当に激減しています。。。

    私も、せめて「今が危機である」ということを訴えていくことだけでもさせて頂きたいと思っております。

    返信削除